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2011年03月31日

23時には筑紫さんを思い出す。−Bank Band「toU」

 

「to U」がニュース23のテーマ曲に決まって桜井さんとsalyuさんと小林さんが番組内で3人そろって生演奏をした時、わたしはそれを実家のテレビで見ていた。瓦礫の街のきれいな花、と桜井さんが歌い出す2番の詞ががつんと入り込んできて、あの時おとんとふたりでさめざめと泣いた。いい歌だなあ、うんうん、ってティッシュで鼻をかむふたりを、母がめずらしいものを見るような目で見ていたのだった。今なら、きっと一緒になってちーんとしてるんだろうにさ(前回の作文参照)。

宮城県沖地震はいつかくるくると言われていたことだった。大きな揺れがくることはみんな知っていた。ちょくちょく大きい地震に見舞われるあの地に住まう人たちは、大人も子どももそれはどうしようもないことと捉えて備えはなされていたはずだった。まさか津波があんなになにもかもを根こそぎ押しやるなんて誰も知らなかった、想像もしなかった。震災の後、電話で話したみんなが口々に言う。「まさかこんな、」と。自分たちが千年に一度という揺れに遭遇するとまでは誰も考えなかった、考えられなかったんだよ。

筑紫さんだったらこの震災をどんなふうに報じたんだろうな。わたしはいまだに報道番組を目にするたびに筑紫さんの視線を感じるんだ。もう亡くなられてだいぶ経つのにいない気がしない。あの落ち着いた声で、被害状況や政府や東京電力の対応、被災した人たちのことをどんなふうに語ってくれただろうと。たしか筑紫さんはスタジオで立ったままこのtoUの演奏を立ってながめておられた。色んな場所でたくさんの人に出会い自分の言葉で報じて来た人の内側に、この歌はどう響いたんだろうか。

また争いが 自然の猛威が 安らげる場所を奪って
眠れずにいるあなたに 言葉などただ虚しく
沈んだ希望が 崩れた夢が いつの日か過去に変わったら

はじめてこのフレーズを聴いたあの時は、阪神大震災や9・11の同時多発テロがよぎった。どこか遠くの国の戦争を思ってもを人ごととしてとらえるだけだった。でもいまはたった一度のばかでっかい地震のせいでめちゃくちゃになった東北のことを思う。損なわれたものはあまりにも多すぎるのに、誰かを憎むわけにもいかず呆然とする。けれど阪神大震災に見舞われた神戸がその街並みをゆっくりと取り戻してきたように、東北の町もまた少しずつ何かを得てふくらんでゆくだろう。

ほんとうに、いい歌だ。がんばらねくてよがす、あわてねくてよがす。これからだ、これからだでば。
 

posted by 雨屋杜美 | 歌-男性Vo. | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月29日

金曜日のこっこさん。−ジュゴンの見える丘

 
見終えた後、なんてもどかしいんだろう、と思った。いまこの放送を見てほしい人たちがいる、でもこの声を音を届けるためには電気の力が不可欠であり、そして届いてほしい場所には今、その力が張り巡らされてはいない。

わたしの実家は宮城県北部にある登米市というところにある。揺れは相当強かったらしいが被害は小さかった。電話連絡が途絶えたのを除けば誰かが怪我をしたという話も聞かない。古い建物は崩れたところもあったそうだけれど、震災から半月が過ぎ、ほとんどの人たちは震災前と変わらない日常を送っているという。

父の職場と母の実家があり、わたしが生まれてから小学3年まで暮らした石巻市は津波の被害を受けた。じいちゃんばあちゃんとおじさんが暮らす家は、港から数キロ離れたところにあるというのに1階がまるまる冠水した。電気や水道はひと月は復旧しないらしい。渡波の遠縁のおばさんとおばあさんは逃げ遅れて亡くなった。

石巻の写真を載せてくださってるブログは毎晩仕事から帰ってから必ず見ている。知っている店や小学校の同級生の家が映っている。崩れ、流され、潰され、焼け出されて。わたしは京都にいて、ぽんと宮城に飛んでいくこともできない。見ることでしか関われない。

MステにCocco出演、というのはtwitterで知った。京都市内も色々と自粛ムードに包まれており、わたしが働いてる店の予約もキャンセルが相次いでいる。で、先週の金曜日も思いがけずに早上がりできたけれどもうちにはテレビがないので某居酒屋のママが貸してくれた携帯電話で生でみた。出番を待つ間じっと目をつぶってるこっこさんも、長田さんのギター一本で歌うジュゴンの見える丘も、歌い終えたあとのくしゃっとなった顔も。
 
母にネット上でこっこさんがMステで寝てたって騒がれてるんだよって話したら、心底驚いていた。うちの母は人一倍淡白、なおかつ音楽を好んで聴くタイプではない。わたしが歌聴いてさめざめ泣きべそかいてるかたわらでげらげらと「おもしろーい、あんたおもしろーい」と高笑いするような人である。

そんな母が「Coccoの歌聴いてたら泣けてきた。歌聴いて泣いたのなんて初めてだー。一所懸命歌ってた。必死さが伝わってきたよ。歌い終わった後に拍手したよ、歌ってくれてありがとうって」と。あの歌聞いてたらそんなこと言えないだろうにってよ。

あそこそのまま歌うのはどうかなあ、と思ってた2番の歌詞はちゃんと変わっていた。どうかこっちの「愛よ愛愛、宝物」バージョンをさ、ラジオでばんばん流してほしいな。沿岸部をはじめとするまだ電気が復旧していないところに住んでる人たちにこそ、金曜日の夜にあふれんばかりの思いと祈りを込めて歌うあの姿が、あの歌が届けばいいのにと思う。YoutubeのMステの動画はさくっと消されてしまったから。

「希望をみせたい、美しいものを。光が見たい、見せたいって思う。人にね」

映画「大丈夫であるように」のなかでこっこさんはそう言っていた。あのドキュメンタリー映画を観た時の作文にも書いた(「甘苦い棘はそのままで。-Cocco×大丈夫であるように」はこちら)けど、もうこっこさんはCoccoであることから遠く離れたりしないんだろう。できるかぎり矛盾しないように、嘘をつかないように、まっすぐに対峙しながら歌うことをやめないんだろう。そうあろうとすればするほど今回のようないらぬ誤解だって生まれる。それでも突っ走るのをやめないんだろう、あの人は。

あなたに降りそそぐすべてが正しいやさしいであれ、涙目でそう歌っていたこっこさんにこそ、この歌を歌ってあげられたらいいのにと思った。抗えないほどのどうしようもない力でなにもかもを持っていかれた人や場所のことを思ってくれて、歌ってくれてどうもありがとう、ありがとうねって、あなたはけして無力なんかじゃないって、ちゃんと通じりゃいいのにってさ。

そんなこんなで昨日も今日も明日も、あいかわらずわたしはこっこさんの歌を口ずさんでる。
 

 
タグ:Cocco 動画


posted by 雨屋杜美 | 歌-Cocco | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月11日

xxxHOLiC籠最終回、そして宮沢賢治。

 
xxxHOLiCを読むようになってからというもの、蝶々がよく目につくようになった。道行く女の人の髪留めや着物の柄や。それまで素通りしていたはずのちょっとした色々に視線が縫いとめられる。物語に触れて変化する日常、そういうのを幾度も積み重ねていまのわたしがある。

***

いやー、終わった。終わっちゃったんだなあ。なんだろう、この気の抜けっぷり。これまでだってたくさんの作品をお見送りしてきたはずなのに空虚っぷりが半端ないだよ。そんなに好きだったのかわたし。そんなにもこの作品があってくれることが嬉しかったのか。侑子さんが四月一日に「存在ってくれるだけでいい」って言ってたみたいに。

別冊少年マガジン 2011年 03月号 [雑誌]

先月2月発売の号で最終回って知った際にはツバサの最終回の時のことを思い出した。あの時はまだホリックがあるし、まあ最後はあっちでまとめんだろうな、ふーん。てかんじ。「だってまだホリックがあるし」←ここ大事。ところが今回はそれにあたるものがないときた。あらららら。さて。どうくるんだろう、と。待ってた。ということで昨日読んでみたわけだけど、読んだんだけど、読んだんですけど。

なんだかもう話がどうしめくくられたかっていうより「曽祖父にそっくり」発言に動揺を隠し切れなかった。いやさ、最初だぁーって一気に読むさ。夢十夜(だっけ?)のくだり、店を継いで百年以上うんぬんのとこも目にはしてんだけど、てっきり曾おじいさん=遥さんって受け取ってしまってさ、ん?じゃあなんだこの青年は静の子どもかい、っておかしな変換してしまったわけで。2回目読んだ時やっと認識できたというね。

一族ぐるみで四月一日を見守ってきたらしい百目鬼家の人々のことを想ったら胸がこう、ぐーっときたよ。だって遥さんから指折り数えると6代だよ。その間の全員があの店に関わってきたとは限らないにせよいくらなんでも長すぎやしないか。ってか静ちゃんがどんな家庭を築いたかものすごく興味ある。もしや小羽ちゃんと結婚…いやいやそれはないだろう、どちらかというと保護者気分で小羽ちゃんの結婚式なんかに参列してそうだ。もちろん親族席である。わたが持たせたお祝いの品とか持ってさ。妻子のみならず孫、ひ孫までいる百目鬼静。寺は継いだんだろうか。それとも大学に残ったんだろうか。百目鬼教授かー、ラノベの主人公とかにいそうだな、おい。

侑子さんがみた大昔の夢。縁側の煙管の煙。籠にうつった時はあの煙によって物語がつながれたんだけど、今回はもうその先はないの? ほんとうに? ほんとにもうおしまいなのか。

ジャンプ SQ. (スクエア) 2011年 03月号 [雑誌]

CLAMP先生は今発売されてる号のジャンプスクエアで新連載「GATE7」を開始。この美しいタイミング。こりゃホリックは打ち切りだろうって誰もが思わざるをえないだろう。今までの話の流れをぶった切る収束のしかた。いや、終わり方はいいのさ。ハッピーエンドだろうがバットエンドだろうが作者がそうするってんなら手のひらでそうっと受け止めるしかないのは知ってる。でもいままでの糸を丁寧に紡ぐようにおしすすめてきたそのテンポをいきなり早めてはい、おしまーいってのは置いてけぼり感たっぷりすぎてやっぱり釈然としない。

わたしもここんとこ本誌まったく読んでなかったので18巻以降の話を知らないんだけどさ、こんなふうに急にしめくくられる兆候とか伏線ってあったのか? モコナにでも説明してもらいたいわ。「それはだな…」とかちゃんと解説してほしいんだけど。酒飲みながらでいいから。アテもちゃんと作るから。

イタズラなKiss (23) (マーガレットコミックス (3067))

かつて「イタズラなkiss」は作者・多田かおるさんの急逝により未完のまま終わってしまった。あれだけ長いこと続いた作品の、複数ある山場のひとつになったはずの場面で連載が途切れてしまったのは悔やまれてならないけれど、だからといって多田さんが残した仕事の素晴らしさはなんら損なわれることはない。宮沢賢治の言葉にもあるではないか、「永遠の未完成、これ完成なり」と。
 
xxxHOLiCもさ、これまでちくちくと手縫いでやってきた流れを最後の最後でミシンであっというまに仕上げちゃうようなことしないで、もう「X」みたいに放置してくれたらよかったのにな。そしたら四月一日が待つ以外の幸せを手にすることを祈っていられたのに。

だって結局、自分が選んだからとはいえ君ちゃんはひとり残されたわけでしょう。侑子さんは闇に、ひまわりちゃんも嫁にいき。(たぶん)占い師のおばあさんは亡くなり、小羽ちゃんも大人になり、静ちゃんも子孫を残して年老いてゆく。君ちゃんは大事に思って大事に思われていた人たちを何度見送ったんだろう。100年以上たったっていうなら、もしかしたら最終回で登場しなかったモコナやマルモロだってもういないのかもしれない。力が強まったというのならあの<場>を支えるふたりも必要なくなってしまうんだろうから。

小狼はさくらちゃんにはめったに会えないかもしれない、それでも仲間がいる。黒様が、ファイさんが、白モコナがさ。なのに今の四月一日には百目鬼のひ孫しかそばにいないわけ?そんなに格差をつけなくてもいいじゃないかもう、うがー!

そう、わたしはただたんに悔しいんだ。君ちゃんが他の人たちに囲まれて文句なしに幸せであってほしいって思っていたから。侑子さんが闇にとけてゆく時に自分の願いは四月一日が存在してくれることって言ってたみたいに。四月一日がかつてひまわりちゃんに祈ったように、小羽ちゃんが四月一日にそう願ったように。ひとりの女性をひたすら待ち続けることが、幾人ものひとを失い続けてもなお幸せであるなんて思いたくないんだよ。

銀河鉄道の夜 [DVD]

アニメ映画「銀河鉄道の夜」はうちの一家の子どもたちが幼少のころからさんざん見てきた作品である。長いことビデオで、最近ではDVDで。ジョバンニが銀河の旅から星祭りの夜に戻され、カンパネルラのことを知らされ、お母さんのための牛乳を抱えて走って行ったあとに流れるエンドロールでは「春と修羅」の序文が朗読される。

わたくしという現象は
仮定された有機交流電灯の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといっしょに
せわしくせわしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電灯の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち、その電灯は失われ)

これらは二十二箇月の
過去とかんずる方角から
紙と鉱質インクをつらね
(すべてわたくしと明滅し
 みんなが同時に感ずるもの)
ここまでたもちつづけられた
かげとひかりのひとくさりづつ
そのとおりの心象スケッチです

わたしはxxxHOLiCを読むといつも銀河鉄道の夜を見てるときのような気持ちになった。心が凪ぐんだ。よけいな装飾のない線画をながめるだけで落ち着いた。雨に光に影に。蝶に鳥に花々に。だから結末がどうであれこの物語の世界観はわたしのなかに残り続けるのは間違いないし、きっとこれからも何度も読み返すことだろう。消えない灯りをともされたようにずっとずっとあり続けるといい。

待つことを選んだ四月一日には宮沢賢治のこの言葉を送る。四月一日だけではなく、わたし自身にも、わたしの周りにいてくれる人にも、そしてこの文章を読んでるあなたにも。

けっしてひとりをいのってはいけない



 

posted by 雨屋杜美 | まんが-ツバサ・xxxHOLiC | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月14日

お茶のみ語りxxxHOLiC籠お引越し記念。

 
久しぶりに街に出たきてみればどしゃ降りである。どうしていつもいつもいつも雨雨雨、洗濯物乾かんだろが!と四条の献血ルームを出て歩きながらくさくさするが、血を抜いた後には近所の本屋に立ち寄って連載ものを片っ端から乱読するといううきうき企画が待ってるのでひとまず忘れる。

お茶のみ語りもいつぶりだっけ。xxxHOLiC籠が始まった時もこの本屋でお色気むんむん四月一日に悩殺されたんだったなあ。(「煙管、食卓、籠の鳥。」参照)すごく前のことのように思うけどそうでもないんだよね。あの見開き君ちゃん強烈だった。16巻ではカラーになったのもまぶしかったけどさ。ってかあの頃のうぐ雨はすんごい長文だったんだなあ(遠い目)…今こんなに書けって言われても無理だわな。

うぐ雨ほったらかしてた間はtwitterでぽつぽつしてたけど、やっぱ感想の類をあっちで流すのはどうしてもネタバレの懸念があるんだよね、するのもされるのも。こないだもひやっとすることがあって。情報を求めてさまよってる人が自分の意思で訪れるブログと違って、twitterは槍のように降ってくるから刺さったら痛いのだけよけることは難しい。なんせ逃げ場がない。ネタバレにもいい塩梅のバレと、くそまずいバレとがあるので一概にはひとくくりにできないけど、もしかしたら自分がされていやなことを人にしてるかもって思うとさ。

じゃあブログに書こうかな、長文ずっと書いてないしな無理かなーと思いきや、ためしにCocco作文でためしてみたらけっこうするする進む進む。わたしはなんでもかんでも後回しにして精神的便秘で悶えるくせに、いざ出すもの出したら止まらなくなるというごきげん体質なので、じゃあホリックでもというわけで。

別冊少年マガジン 2010年 07月号 [雑誌]

わー、出てる出てる!四月一日君尋表紙で登場の別冊少年マガジン。ヤンマガから移籍で新章突入である。ツバサが突然最終回?ってなった時はてっきりあっちがどっかに移籍して新章突入か?って書いたけどまさかホリックでそれが実現されるとはよ。オタクの勘も捨てたもんじゃないね。週マガの移籍記念の特別編はたまたま読めた。鳥さんね、鳥さん。堀鍔学園は逃した。ちなみにいまだに17巻のOVDは見てない。探してるんだけどさっぱり見つからない。いつかがくるのを待ってる。ああそうだ、探してる途中で「19才」のPVみたらエロエロしすぎてびっくらこいたよ。妄想はごちそう。


で。巻頭カラーでスタートの新章。……あらら、10年経ってんのかい。静ちゃんがどんどん育ってる!もともと高校生ん時からああ(落ち着きすぎ)だったし、籠開始時ともそんなに変化はなさそうに見えるけど今後は三十路四十路の百目鬼静にも期待したい。で、遥さんは縁側で元気にやってるのか。そんでもって小羽ちゃんが女子大生だよ、女子高生時代すっとばされちゃったよ。百目鬼先生の五月七日呼ばわりが新鮮。そういやちっさい時の小羽ちゃんのこと静ちゃんはなんて呼んでたんだっけか。覚えてない。読み返したいけど
 
紅い真珠の時は助手やってたおふたりさんも今回のお客さん(神様とかアヤカシか精霊とかそういった類なのか?)のためにできることはどうやら何もない模様。それが歯がゆいんだろうってことは見て取れる。大切な人のために何かしたい、できる範囲で何らかの形で手助けしたいっていうのが人の情というもの。自分のことはおかまいなしに他人を優先する君ちゃんだからこそ余計に。

でもこのふたりが君ちゃんのそばにいてずっとずーっと気にかけてきたんだって図式はとてもいいな。小羽ちゃんが「静くんはどうして君尋くんと仲良くなったの」とか聞いた回だったっけ、手をぎゅっとすんの。あそこいいよね、わたし大好きだ。ああ、よかったなあ四月一日ってば。侑子さんがかつて君ちゃんが生まれた時に飛王に言った言葉が現実になっててほんとよかったよ。ひまわりちゃんとたんぽぽはどうしてるだろう。背中の傷は、他人を不幸にしちゃう体質はあのままなんだろうか。

君ちゃんは以前なら静ちゃんに危険が及ぶようなことはできるかぎり回避してたんじゃないかと勝手に推測してるんだけど、今回は状況と静ちゃんの力量とを見極めて頼みごとをしてる。静ちゃんの即答っぷりに乾杯。すべてが終わるおおよその見当までついてるなんて店を継いで10年で培われた経験と、どんどん強まってる力のおかげなんだろうな。桃の木指環を身に着けて6年、静ちゃんもすっかり祓具の扱いにもお慣れのご様子でなんなく色んな応用技を繰り出してる。ブラボー。

モコナも元気でなにより。ツバサの白モコナはみんなのマスコットっていうか守られキャラだけど、黒モコナは一家の守り神っぽい。ちょっと、いやかなりザルだけど。モコナの苗字は松尾かもしれない(松尾様はお酒の神様です by夏子の酒)。あれ、もしかしてモコナが苗字だっけ? まあいいや。とにかく侑子さんがいなくなった後のあの店の精神的支柱になってるのはモコナなんだろうな。ツバサでいったら黒鋼おとーさん、脇役フェチ御用達の絶好の位置。

それにしても50Pっていい!読み甲斐があるわ。週刊連載はスパンが短い分細切れだからな。このくらいずどーんと放たれる快感にため息が出た。次号もこんな量なのか。18巻が愉しみだ。じっくりじっくり読みたい。17巻の茶のみ語りも書けたら書きたい。よかったから、とても。

×××HOLiC(17) (KCデラックス) やさしい悪魔 MISTERY 川口まどか自選傑作集 (KCデラックス) アタゴオル (1) (MF文庫)

前も書いたけどわたしがホリック好きなのは子供の頃に読んだますむらひろし「アタゴオル物語」や川口まどか「やさしい悪魔」の影響がだいぶあると思う。どっぷり感情移入してお話の内側に入り込むんじゃなしに、ずーっと水槽のなかをのぞきこみ続けるかのような世界観。設定。登場人物たち。ひっかき傷からじわっとしみこんで後から後からじわじわと染め上げられてゆく感覚がとてもよく似てる気がする。

あーもう、大好きだ!まんが読み人生でよかったなわたし。昨夜は帰り道もたくさん仕入れて来た。でへへへへ。古本屋で買いすぎてタクシーで帰ってももはやなんの悔いもございません。
 

こんなのあるんだー!紅マグロ!

 

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2010年06月11日

金曜日のこっこさん。その2-ニライカナイ

 
テレビって生き物なんだな。久しぶりにアンテナ線をさしこんでみたけど、この存在感はたしかにすごい。つけたわたしが何してようがおかまいなしに光って喋ってと大忙し。

仕事が早く終わったのでせっかくだしMステでCocco×ニライカナイ見よう見ようというわけで、テーブル下の足置き場になっていた寮の備品のテレビをずりずり引っ張り出し、本の山をかきわけてアンテナ線をつないだ。CMなんていつぶりだろう、見たの。足摺岬の民宿で冬季五輪に張りついてた時以来か。
 
それにしてもMステってあんなことになってるとは。ランキングはまあしかたがないとしてもさ、わたしの知ってるMステじゃなくなってた。「速報!歌の大辞テン」みたいだった。特集とか過去のランキング紹介すんのに一般人の映像あんなに必要か?テレビも新聞もあてにならないってここしばらくの一連の出来事で身にしみて知ったけど、これじゃますますテレビ離れは加速するだろうって普段テレビを足蹴にしてるわたしですら心配になった。大きなお世話だろうけどさ、生だからこその醍醐味を視聴者に与えられる番組であってほしいなと思わずにはいられない。

案の定時間の尺が足りないのか削られたのかは知らんがこっこさんは2番を歌わずじまいだった。ウチナーグチでなにやら歌ってたけどさ。あのわたしが好きな2番から最後のサビにつながる流れを見たかったなあ。(作文「みんな射抜かれてしまえばいい。」参照)焼け野が原や絹ずれの時みたいにまるごと歌うだろうと思ってた。今回はひいきなしか。油断大敵、残念。

生まり島 忘んなよ
踊れ踊れ 輪になれ

ニライカナイの詞って1番だけじゃ「目おくれよ、わらっておくれ、そこにいておくれ」ってだけでしょ。初めて聴いた人は「?」ってなるんじゃないの。(もしくは、ああCoccoっぽいって納得するか)2番のこのフレーズがあってこそ「沖縄人が歌う」曲って気がする。そこをあえてはずすとは半身をえぐられてるようなもんなんじゃないか?

黒い服着たこっこさんのバックはおなじみのメンバーだったし、琉球國祭り太鼓の音はCDで聴くよりもずっとダイレクトに響いていてとてもよかった。せっかく沖縄からテレ朝まで呼んだんだからフルコーラス演奏してもらえばよかったのにさ。ほとんどの人は見る機会も聴く機会もありはしないだろうから、日本にはこういう文化が根付いてるんだよって伝えるのもテレビ局の大事なお仕事であってほしい。途中の過去ランキングのVTRちょっと削ればすっぽりフルでいけたんじゃね?って思った。

というわけでなんだかMステの番組構成に肩透かしをくらった感のあるCocco×ニライカナイ×金曜の夜でしたとさ。そしていままたPV流しながらこうして打ってる。夏にはアルバムが出るそうだ。「きらきら」ぶり。絹ずれとニライカナイ入るとなるとだいぶ濃厚になりそうだ。藍に深しはどうした。卯の花月夜はどこいった。美しい名前は?おーい。

見終えてすぐ電源切ったらテレビはすっかりおとなしくなった。部屋は扇風機の音とニライカナイ。四角い箱形の生き物はまた静かに机の下でゆっくりお休みよ。
 

タグ:Cocco


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2010年06月10日

みんな射抜かれてしまえばいい。-Cocco「ニライカナイ」

 
ニライカナイ

いつだったか、Coccoのインタビューのなかで沖縄サミットの話があった。ニュースでは各国首脳陣の前でテーマソングを歌う沖縄出身のアーティストのパフォーマンスだけが取り上げられていたけど、同じ場で披露された琉球空手の演舞がすごくよかった、拳を突き出すたびにこれが沖縄の怒りだと思ったんだと。
 
今朝5時すぎに新曲「ニライカナイ」を初めて聴きながら、こっこさんはあの時ほとんどの人の目に触れることのないままになってしまった演舞を歌にしようとしたんかなあって気がした。「ジュゴンの見える丘」のように思慕や祈りで包むんじゃなしに、「絹ずれ」のように言葉をふた色使い分けるんじゃなしに、まさにがぷりよつ。よし、ひとりで重く沈みながらはらはら泣くのはもうやめだ、愛する沖縄と手を組み抱き合いつつ地面を踏みしめ、さも「これからはがっつりいかせてもらうしや」って強固な意思表示ともとれる闘志むんむんの歌なんだもん。

龍神よ 出でよ
眠れぬ獅子よ 叫べ

ついに神様まで呼んじゃうとは、こっこさんこりゃもう本気である。出し惜しみまったくなしである。ライブもできないほど恋焦がれて、想って想って守りたくてしかたがなかった沖縄へのラブソングでもなく鎮魂歌でもない、今後共にぶっちぎると決意した約束の歌なんだろうか?

だってさ、1stのブーゲンビリアから通算してこれほど沖縄色を前面に押し出した曲があったっけ。ちょっと沖縄風味ふりかけましたってのはあってもさ。活動再開以降のこっこさんは隠さないことが正義ってくらいなにからなにまでぺろっとモロ出しするきらいがあるが、まさか歌そのもので勝負に出るとは思わなかった。従来のCocco節の旋律にのせて、あきらめながらあきらめきれない心情を詞に溶かし込むんだとばかり。こんなに直球だとは。

Coccoの歌を初めて聴くときは、頭のなかで単語をあれこれ置き換えたりしないでそのままで飲み込む。詞の意味を噛むんじゃなく音として入れる。でもニライカナイはそれをさせてもらえなかった。2番の後、最後のサビまでの間奏まではいつも通りだった。でもさ間奏に入って、お囃子やギターや口笛がうねってうねって押し寄せて駆け上がったその瞬間にさ、Coccoが歌うわけよ、「蹴散らしながら歩けど もっと赤花」ってよ。

ああそうだ、蹴散らされてきたんだ、沖縄は。日本とアメリカの板ばさみになってどこからも守られぬまま、見てぬふりされて。押し付けられて引き受けて、引き受け続けなさいといままた押し付けらようとしてる。(でもわたしはここで宮崎のことも頭をよぎった。畜産農家の人や、獣医さんや、県職の人や、牛や豚のことが浮かんだ)

雨は 罪人の上にも降る
 
さあ、罪人は誰だろう。わたしか、あなたか。政治家、侵略者、それとも傍観者? 誰でも被害者に加害者になりうる。奪って奪われて、与え与えられての繰り返しの交代劇。地上の慌しさなどおかまいなしにまんべんなく降り注ぐ雨、雨、雨。

さっき直球と言ったのは、ニライカナイは届きやすいじゃないかなって思ったからだ。たとえば辺野古や普天間のことをまったく知らない人にも、Coccoは沖縄出身の歌手で今回の歌にはこれこれこういう想いをこめています、ってすとんと手渡せるだろうと。「せめて届いた人にだけ」って手法ではなく、久々の根岸サウンドのパンチのある音色にお囃子のタッグ、かつてCoccoをまったく知らなかった人がMステの焼け野が原で度肝を抜かれたのをほうふつとさせるくらい力強いこの喉でなら。あー、ニライカナイを筑紫さんが聴いたらどんな言葉をこっこさんにかけただろな。ふとした時に砂浜や縁側のふたりがよみがえる。

3回歌だけを聴いたあと、着物を着ながらPVを見た。絹ずれの青からは一転、どこもかしこも真っ赤っかである。血の色か珊瑚の色か夕暮色か首里城をも連想させるような赤。とにかく漆黒の中にどの場面でも必ず赤色が差す。琉球國祭り太鼓、獅子舞、稲妻、もくもくの雲か黒煙か、そしてぐんぐん吹き抜ける風。白スーツで黒服を3人従えてる高桑さんがむやみやたらにゴットファーザー風。監督誰だろ、竹内さんか。

twitterではすでにPV見てる人のつぶやきが流れてきたけど、わたしはじっと我慢した。歌を聴いてからにしたかったから。そして今日やっとわかった。この歌はPVとセットで見るとい威力がどかんと増すのだと。ライブの時のこっこさんにだいぶ近い映像のように思う。生命力の燃焼の風景っていうかさ。後ろめたいことがある人はこの視線の強さに耐えられないんじゃないか。誰もかれも全部見透かされてしまいそうで。

お囃子もこっこさんの踊りもいいがなんといっても獅子舞が圧巻。見てるだけでじわっとくる。この獅子さんたら3分すぎのあたりではでんぐりがえりまですんだぜ。こっこさんに寄り添うラストなんて某ジブリ映画かと思った。やい、ヤックルはどこだ?(調子にのってものすんごいマイナーな例をあげるのなら炎の蜃気楼のつつがと千秋修平のごとくですよね?)で、こっこさんが手にしててしまいには椅子の上に転がって赤花まみれになってるあの棒はなんなのさ。耳かき?


さあ、これ見てしばらくのあいだ赤色に染め上げられてしまおうや。そして周囲の人はわたしがそこいら中でイーヤーサーサー歌いまくるのを熱がさめるまでどうかそっとしていてほしい。

あとは今朝わたしが仕事中に放映されためざましのCocco特集が動画サイトにあげられるのをじっくり待つよ。うちのおとんが「Cocco、顔つき変わったなあー」って言ったんだって。朝のくそ忙しいさなか思わず動きを止めて見入ってたよとおかんが電話で教えてくれた。明日のMステはぜったいフルコーラスやるもんな、太鼓の人たちも総出演するにちがいない。Mステはこっこさんびいきだからそこは期待するなというほうが無理だろう。

みんな射抜かれてしまえばいいんだ。あの目に歌に、赤色に。
 
***

昼間ここまで書いて半年ぶりぐらいに作文として更新してから仕事に行った。働いてる間、身体も頭もちゃんと動いてるのに後頭部のあたりで音がまだ残ってんの。わんわん鳴るの。すごいなあって思う、いつもいつも。こうして1曲ずつがちゃんと降り積もる。地層のように、樹木の年輪のように。

あーあ、いまいるここが田んぼのどまんなかだったらよかったのに。そしたらばかでっかい声で誰に聴かせるでもなく思うぞんぶん歌うのにさ。できないからそうしたかった気持ちだけをここに置いておく。

ポロメリア
ポロメリアはまだ買ってない


タグ:動画 Cocco


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2010年04月30日

桜は雨に散りましょう。-仁和寺へ

 
仁和寺に花見に行ったのは先々週のこと。仁和寺は御室桜っていう種類の桜の名所で京都市内でもいちばん遅く開花。おかげでぐずらもずらしてるうちに近所の桜を軒並み見逃したわたしもやっと春らしい行事を滞りなく済ませることができた次第である。雨?降ったよ、もちろん。

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作文を書けなくなったのに深い事情はない。まったくない。雨屋日録をごらんの方ならおわかりいただけるように、せっせと働いてめしかっくらってぐうすか寝ていた。そらちょっと小穴に落ちかけたけれどそんなのいつものこったし、毎年12月・1月にはとんと弱いんだ。しいて記すとするなら、思いついた時にあれやこれやをぼんぼん放り投げていたテキストファイルが忽然とPC上から失われたからか。あれにはまいった。気が抜けたっていうより魂吸い取られちゃったかのようだった。吸魂鬼も真っ青だ(=ディメンター。ハリーポッターに出てくる黒いもやもやした生き物)。

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あるはずのものが消えるのは恐ろしい。すっかり寄りかかってあぐらかいてた場所が失われるのも、いてほしい人がいなくなるのも。桜が咲いて散ってあれだけの花びらどこいくんだろうって毎年不思議に思う。10歳のわたしも、20歳のわたしも、そして三十路のわたしもさ。

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これはたぶんぼたん桜。お寺の門入って右手すぐにある樹。見上げたら薄桃色の水玉模様が宙にぽんぽんこぼれるようだった。嵐電で帷子ノ辻まで行って、商店街のパン屋さんに寄ってバスで帰って来た。春の遠出は花見ではじまり花見で終わりそうな気がする。明日も早い。さあ、寝よ。
 
 
タグ: 京都


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2009年12月25日

積み木を高く積んだ歌。-BUMP OF CHICKEN「R.I.P.」

 

木片をいっこずつ上に上に、積み上げるような歌だと思った
 
物をもらうことが苦手で、誰からのプレゼントでも受け取るときに素直に喜べない。ほしいものは自分で集めて維持できる分だけでいい。そんなだから世の人たちが贈り物を選び、贈り合ってご馳走やらケーキを食べたその翌朝に、わたしはわたしに音を贈る。形として残ることのない音が、歌が、その先ずっと在り続けるそのはじめの響きを置く。今回は毛布にくるまって聴いたけど、やっぱり気分は音楽散歩。歩いてるような速さと踏みしめの強さで音を刻む。

発売から1ヶ月、なんとなく先延ばしにしていたバンプ新曲。心待ちにしてるものに初めて触れるときはばかみたいに緊張する。何回、何冊、何曲待っただろう。いつまでたっても慣れやしない。2年前、orbital periodが出たときもそうだった。今だ!今聴こう!ってスイッチが入るのをずっと待っていて、よしっ、と再生したとたん「ああ、ここじゃだめだ、歩こう歩こう」って思ったんだった。
雨屋さんぶん「071225orbital period」参照
 
曲を通して抑え気味のなだらかな喉で歌われたR.I.P.。藤くんが喉張り上げるのを聴くとよくも悪くもぐぐーっとくるので、そういう意味では気が抜けた分じっくり耳かっぽじられたけど。変拍子がとても心地よかった。情景を切り取った詞世界のなかに、いつのころかのちっさい自分を捜すこともできるだろう。

わたしは坂の上に住んでて毎日毎日、下って登って学校やら図書館行ってたよ。長靴好きだったけどね、体温計ずるしてさんざん休んでまんが読んでたよ。よっちゃんいかでザリガニだって釣ったさ。水槽で飼ってたよ。そして実家の庭はどこもかしこもちっさなお墓だらけだった。

うたうたいたちはその一曲一節に強力なまじないをかけてくれる。最初に聴いた時にすとんと落っこちてきたフレーズを、結局その後一生忘れることはないのをよく知ってるんだろう。聴き手が望んで手に入れることのできる幸福な、それでいて強力な呪いだ。

悲しい事は宝物になった
君もきっと
そりゃあもうたくさん持っているでしょう

まだ、なってないよ。そう思えることもあった。でも全部を全部そう思えるところまで行けてない。いけんのか、いけるといいな。そう思えたらいいな。それまであれもこれも、持ったまんま握りしめて放すな。片手がその手を緩めそうになったらもう一方でそれを押しとどめろ。逃がしてたまるか。逃がしてなんかやるもんか。わたしはしつこいんだ、あきらめの悪さなら自信がある。記憶たちがぼろぼろ崩れそうに風化するなら、針と糸でぐしぐし縫ってやる。
 
同じもの見られたら それだけでいい
同じ気持ちじゃなくても それだけでいい

それだけでいいけど実のところそれがいちばん難しいって、そういう歌なんだな。簡単でなんなんくやってのけそうな、ごくシンプルなそのまんまであればあるほど難易度が高く継続が困難で、かけがえのないものであるってこと。愛しさと怖れは裏表。あたりまえがあたりまえである安心と不安。

ふだんめったに手に取らないB-PASSを読もうと思ったのは予感だったのか。インタビューのなかで藤くんと升くんの富士山登山のことが語られていた。「あ、来たんだ」そのひとことがさ。あーもう、だから升くん好きなんだよと思った。そしてその言葉を予測してた藤くんもやっぱすごいわ。なんなんだろう、あの人たちのつながり方って。

BUMP OF CHICKENってバンドの骨格は揺るがない。だからいくらだって待てる、新しい音を手放しで喜べる。誰かと在り続けるってことを信じてみたくなる。あの人たちの20数年間が高く深く積み上げた安心感を、わたしたちは歌が生まれるたびに噛みしめ、確かめる。

ふだん寝坊したときくらいしか走ったりしないくせに、疾走感のある曲が大好きだ。欠けてるものを補いたいのかな、そういうもんか。ほっとけばずっと同じ場所にいられる重くてでっかい尻をぺちぺち叩く意味合いで、そういう音が常時必要なのかもしれない。追い立てられないとどこへも行けやしないから。次の場所に流れ着いたならそん時は積まれた木片のすきまから届けてやろう。寒い寒いとしょうが粉末入れたお茶やら青汁飲んでじっと動かずにいる女へ、大声で歌ってやる。
 
 

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2009年12月22日

お茶のみ語りxxxHOLiC籠192、193話。



-コーンフレークは、コンフレイクと発音するのです-

昨日ひさしぶりにまんが喫茶に行った。3時間もいたのに昨日発売のヤンマガが棚に返却されなかったのは残念。帰り道のローソンで読む(うさぎさん!)。ちなみに192話は差し歯が欠けた日に、193話はぎっくり首の日に病院の待ち時間に読んだんだった。あれからもうすぐひと月か。早いなあ。激動の1ヶ月だった。xxxHOLiC16巻はさっきナポリタンをこしらえてる時に届いた。発売日当日に読むなんてめったにない幸福である。ちなみにBUMP OF CHICKENの新譜も買ったがいまだに聴いてない。

***
「有り難う」
 
192話。わたしはスピリチュアル系の人たちがこぞって推奨する「ありがとう」には懐疑的である。そういう概念はあってもいいだろうし、たしかに罵声浴びるより感謝の言葉を浴びた植物の育ちが早いとかはありえることだろうとは思う。自分が受けとった分の感謝をこめて正確に発する、自然とこぼれたありがとうならいいけどさ。口先だけのありがとうが蔓延してるような気がして気持ちがわるくなる。祈りをこめないお経や祝詞なんか、言っても言わなくてもおんなじだろうに。侑子さんが、モコナが口をすっぱくして言い続け、そしていま四月一日が身をもって証明する対価の過不足について。貰い過ぎてもいけない、貰わなさ過ぎてもいけない。じゃないと傷がつくのだと。漢字の有り難うは、ひらがなのありがとうよりも背筋がぴんと伸びてるかんじがして好きだ。
 
「…そうですね 決めたので」

このコマの手!四月一日の手!骨!手フェチ骨フェチ心をためされてるとしか思えないな、これ。ああ噛みたい。犬が骨を噛むように、骨フェチさんの多くは見るだけじゃ触るだけじゃ満足できないんじゃないかと勝手に思ってるんだけどな。この硬さこそが骨の魅力だと思うわけよ。あれ、骨フェチ作文になってるな。まずいまずい。戻ろう。

「宝物庫に新しいの居たな」

モコナが新顔の三味線について言う。そうか、あそこのモノたちは在るんじゃなくて居るんだなあ。ひっそりと待ち続けるのか、自分たちが真に在るべき場所へ還るまで。明かされた怪我の理由。そばにいるみんなが心を痛めて心配し続けるその理由。「侑子が何度も言ってた」「聞いたな」の会話にぎゅうっとなる。4年間。見合う対価かどうかを目をつぶってきいてきたのか、その血と眼に。他に方法はないのかとみんな考えたんだろうなあ。でもいちばん頼りにしたい侑子さんはいない。当の君ちゃんは頑固で「死にかけても死なねぇよ」と聞く耳もたず。百目鬼は見届ける役目と卵を与えられ、小羽ちゃんは視ることしかできない。おばあちゃんはお客さんを紹介し、遥さんは193話に登場。ひまわりちゃんと蒲公英はどうしているんだろうね。座敷童子と雨童子は元気かな。きつねのおでんは夏も営業してるのか。

「百目鬼には言うなよ どうせ 夜来るだろうから」

このどうせを太字にしたの最初に読んだときにここだけ字が大きく見えたからである。もしくは波線でもふってありそうに。こんなこと君ちゃんに言わせるから夫婦とか呼ばれんだよね。愉しいからいいけど、大歓迎だけど。にしても、四月一日って小狼のことどう思ってんだろ。手元に16巻あるはあるけどまだ読んでないしわたし間ちょこちょことばしてるから、大事なとこ解ってない気がする。こないだやっとツバサの28巻読んだんで小狼の気持ちはなんとなくつかめそうなんだが、どうも君ちゃんのほうがいまいちわからん。兄弟みたいなもんなのかな、いや、もっと近いか。じゃあ子供か。やっぱりもうひとりの自分、それ以上でも以下でもないのかな。どうなんだ。

「みんないる 遠いひとも 近いひとも
 だから ひとりだけど独りじゃないんだぞ …四月一日」

とっときの鯛のおつまみを待つモコナの台詞で、しめ。
 
***
 
193話。遥さん登場。この回でわたしがまじまじと見たのは遥さんの右手である。

「願いは叶えられたかい?」
「何とか」

このあと、怪我もしてないようだとか言いながら、すっと君ちゃんの耳とあごと髪に触れるあたり。その3点に触れるっていうのはさ、ものすごい親しい人じゃないとするのもされるのもいやだと思うわけよ。鴨居まさねさんの「SWEETデリバリー」でもデコラちゃんが猛烈に怒ってたじゃないの!(混乱してたともいう)それを自然に受け入れる四月一日! いいのかそれで! でもあれだな。以前は見た目静ちゃんそっくりでもどっか悠然としてじじむさい感じがあったけど久しぶりにみたらほんと遥さんが若く見えるよ。やさぐれた高校生が煙草吸ってるようだ。しばらく登場してない静ちゃんのがすっかりおっさんの3歩手前みたくなってる。

「逢えると信じているのなら
その時、あのひとが泣くような事はしてはいけないよ」
 
むかしむかし、わたしは具体的に「これこれこういうひとに会いますよ」と予言されたことがある。しかもそれが別々の場所で、別人からおんなじ内容だったってこともあって愉しみにしてた。そういう人がいてもいなくてもいいけど、もしいてくれたらうれしいな、おもしろいなあってさ。だからそれから数年後に実際そういう人が目の前に現れた時にはそりゃあもうびっくりしたもんだった。でも会った後の一連の記憶よりも会うまでの間の、あの心が丁寧になる感じを最近よく思い出してる。いつもどこかにそのひとが在った。いるかどうかもわからないのに、心の温度を調節してくれるような感覚。冷えた時にはほの暖かさを、熱くなったら冷却水がわり。

四月一日は侑子さんを待ち続ける。でも確信はどこにあるんだろうと思う。客の願いを叶えて、年老うこともなく、誰も頼らず弱音を吐くこともなく。店という殻に籠もって、いつまでそうしていなければいけないんだろう。先が見えないっていうのは本人以上に周りがしんどい。ひとりじゃない、そう周りが伝えてもいまの四月一日には届いていないような気がする。4年の歳月はけして短くない。
 
***

「偶然はない、すべては必然だから」そうxxxHOLiCのみんなは言うけれど、なんの前触れもなくある日突然あるべきものが失われるのはやっぱり悲しいことだ。思いついたときにぽつぽつ打ち込んでおいた作文の下書き用のテキストファイルが忽然と消えた。LightWriteってフリーソフトはとても使い勝手がよくて重宝してたんだけど、昨夜タブが開けない…と思ったら今朝になったらうんともすんとも言わなくなった。ネットでみつけたニュース記事とかおもしろそうな情報や、バイブルのごとく読み込んでいた二次小説などもまるごと入れておいたのに! さくさく軽くて不具合なんか聞いたことないソフトだったのでなにが起きたかいまだにわからない。でも、忘れてたんだ、わたし。絶対なんてないってこと。後回しにしないでその場その場でちゃんとしておかなくちゃだめだってこと。

というわけで悲しみに暮れながらナポリタンをこしらえ、失くしたデータを偲んで大量に粉チーズをふりかけていただいた。さあさ、16巻を読みながらお茶っこでも飲むべかね。楽天で買ったみかん12キロも届いた。腐るが先か、完食が先か。みかんの旅はまだはじまったばかり。
 
バケツみかん.jpg
 


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2009年12月18日

ひとつ、ふたつ、みっつ数えて。-医龍


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- 春はまだまだ遠く -

出勤前の10分で更新しようコーナー。

ひさしぶりにコンビニでスペリオールを読んでわなわな震えた。医龍がとんでもないことになっていたからだ。教授の手術が終わって、みんなでほっとひと息ついたのもつかのま、またもやイレギュラーな事件が起きる。ひとつ、ふたつ、みっつ、とまるでCoccoの卯の花月夜のサビみたいにあれよあれよと連鎖的な不幸が続く。あのぼっちゃんが柵のむこうに落っこちたところまでしかわたしは知らない。たぶん2週くらいとばしてしまったんだろう。先月読んだ時に朝田先生が俺には俺の準備があるだとか、やるべきことがあるとか、そんなようなことを言ってた際に、よぎったんだよ、それは。でも「まさかねぇ、め組の大吾じゃあるまいし、わっはっは」とすぐにあさってのほうに押しやった、いくらなんでもそりゃないだろうって。ある意味ベタすぎて候補にすらあげられなかった。なのに、なのに。ミキさんの言葉がずしんと重く響く。涙っこ出そうになった。伊集院先生、がんばれ!みんなでつないでくれ!
 
そしてあまりの衝撃にダブルショコラエクレアを買い忘れた。

タグ:医龍 Cocco 脇役


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2009年12月14日

青い鳥を探して見つけたもの。

 

・7分すぎからOP映像になる、好きだった、この歌・

仕事がたてこんだり、上手に息を抜ききれていない場合、身体の不調が出てはじめてその度合いにはっとする。じんましんが出てはじめて、わー、わたしいまけっこうやばいんだなあって他人事のように気づくんだ。ぎっくり首、整形外科の先生はまっすぐな首(ストレートネック)のせいだと言ったけれど、数日前、東洋医学の先生はストレスや内臓の疲れが蓄積してちょっとした拍子にばつん、となることだってあると教えてくれた。だからもう肩が張って重苦しくなったらごはんも食べずに寝てしまうことにした。いままでもそうしてきたけどもっともっと容赦なく睡眠を最優先にするのだ。わたしは寝ないと、あれこれをしまいきれないまま、上へ上へと積み重ねてしまうから。
 
というわけで、ここ数日は機械的に生活していた。昼寝と夜寝の前にちょっとだけ吉野朔実を読む。文庫版を大量購入したのを枕元に積んでいる。ここんとこ作文にまんがが登場しないのは、こないだのお片づけの時に手持ちの小説や漫画をみな箱詰めにしてしまったから。上に物載せちゃうと取り出すのに一苦労するのである。しがない寮暮らしだから本棚を買う勇気がなかなか持てない、というよりもともと本棚とは仲が良くない。わたしほど段ボールを有効活用してる女はいないだろう、わっはっは。Gと呼ばれる黒い虫はこの箱が大好きらしいけど、物は多いが掃除はしてるからやつらが存在することはない。許さん。絶対に断固阻止である。熱海での生活のなにがしんどかったかって、イニシャルGの存在に四六時中おびえ続けたことだよ。

お気に入りフォルダを削除して、ごく必要なページのブックマークだけを残したらネットする時間もがくんと減った。思いついたらYoutubeをうろうろしてちょっとだけ見て満足する。こっこさんのBlue birdつながりでみっけたのが「青い鳥」。

面白かったよなあ。野沢尚さんの脚本のはどれも信頼がおけた。俳優さんたちがすうっとその役に入り込めるような説得力があったんじゃないかと思う。「恋人よ」も「氷の世界」も大好きだった。役所広司さんの「砦なき者」も素晴らしかった。「坂の上の雲」執筆中にあんなことになってしまって残念。でもすごく評判いいね、あのドラマ。ここまで不評を耳にしないドラマが近年あったろうか。DVDになるのが愉しみだなあ。
 
それにしてもさ、なんなんだこのトヨエツの美骨っぷりは。車掌さんの制服やら、シャツ一枚ですらとっても仕立てのいいお洋服のようにをさらっと着こなすんだもんな。一日くらい豊川悦司になってみたいなあ。どういうふうに骨盤動かして肩の骨揺らして歩いているんだろう、動かしているんだろう。それを知ってみたい。
 
原作ものばっかりなこの風潮のなか、ドラマ界はいまいちどオリジナル作品が威勢よかったころを思い出してほしい。どうなるかわからないという前提のもと毎週を心待ちにする緊張感を。視聴者をどぎまぎ、はらはらさせる力をもう一度。いいものはいつかまた巡ってくる、わたしはそう信じたい。



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2009年12月07日

脇役好きさん、コードギアス続編に願う。

 
コ、コードギアス続編ですと? 3期ですと?

いやー、びっくらこいただー。が、けっこう自分の反応というか、気持ちの温度が意外だった。熱からず冷たからずな感じ。喜ぶでもなくいやがるでもなく。とってもどまんなかで中庸、どっちつかずともいう。でもきっと始まったら見るだろうし、ぜったい毎週愉しみにすんだろうなあって気がするんだけど。

京都の寺院、秋のライトアップもほぼ終了した。紅葉最後の連休とあってうちの宿もおおわらわだった一昨日。外部から助っ人の仲居さん7人も頼まなくちゃいけないくらい忙しい晩だったのだけどそういう日にかぎって早番だった。1時間早く出勤せねばならない上にこまごまとした用事が押し寄せる。報せがもたらされたのは珍しくさくさく着物に着替えてからねばねば〜っと納豆ごはんをいただいていた最中のことだった。
 
もっと衝撃で身が震えそうとか仕事が手につかないとか、なったとしてもおかしくなさそうなのに、あらー、わたし冷静だなあって。それいったらばこないだのxxxHOLiC籠ショックのほうがよっぽどぐらぐらしたな。ヤンマガ持ってる両の手がぷるぷるしたもんね、口からもれる変な声に隣にいたおにいちゃんびくっとしてたもんね。

たぶんわたしが原作しか見てなくて、ほかのノベライズだとか二次創作作品をまったく手にとっていなかったらまた違ったのかもしれない。この1年でいろんな景色を見た。含みがある締めだったおかげで色んな人が、色んな媒体で、色んな物語が派生してとっても愉しかった。読んで、聴いて、また見てわたしのなかであの2期最終話はしっぽりと完結している。

こないだギアスDVD貸した職場の板前さんに聞いたら「あれはあれできれいにまとまったんだから、今更ルルが生き返ったら許せん。またC.C.が別の契約者みつけるんだろ?」って言ってた。ネットでもそういう意見はちらほら見かけるしそういう心理は解る。たぶんタイトルから「反逆のルルーシュ」ははずれるんだろう。だってもう反逆しなくたっていいもんな。
 
夏前だったっけ、パチンコ化の話が出たの。個人的にかなりうほうほしてて、ふだん行かないパチンコ屋さんに見物しに行こうってお友だちとうきうきしてたのに、あれはどうなったのさ。オレンジジュース飲んでにやにや覗き見するはずだったのにどうしてくれるのさ。続編に合わせて延期か。頓挫したのか。
 
なんにせよ脇役フリークとしては前作同様、脇役の皆様のさらなる活躍を望む。

前作最終話、アーニャと共にオレンジ農場で、すがすがしい汗をかきながら働くジェレミアの表情が忘れられない。あの人の波乱万丈な生き様、華麗なる転身、最後の最後で多くの人々に与えたであろう感動をわたしは称賛し続けようと思う。ギアスという能力に翻弄されどん底に堕ち、身体を改造された挙句海の底にまで沈み。ついにはギアス能力を消し去る三段跳びの能力まで与えられ、ころっと自分の忠義を思いだし新たな主君を見出し、その忠義を全う。そしてオレンジを収穫する。あっぱれである。
 
ジェレミア・ゴッドバルトその人こそ、コードギアス全脇役さんたちの輝く希望の星である。我、願おう。続編においてもオレンジくんのような光をもたらされんことを。
 
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毎日おめざしゃしんをサイドバーにのっけることにしました

  
 

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2009年12月01日

雪降っても降らずとも歌え。-ゼロの答

 

UVERworldは「ゼロの答」だけipodに入れてる。たいてい家にいる間はランダム再生で音楽を流すのだけれどこのイントロが聴こえてくるともう条件反射で血が騒ぐ。いま成分献血したら短いサイクルであっというまに終わるだろうに!ってくらいわくわくする。バスケの試合前とかライブが始まる直前の高揚感に似てるな。早く始まってほしい、でももっとこの味を覚えていたいっていうね。雪が降っても降らなくてもサビを歌うよ、春夏秋冬声を大にして歌おう。ゆーきーがーーーってさ。

いまはもう削除されて見ることが叶わない某ギアスMADでこの疾走感に出会わなければ、わたしはこちらのバンドの音源を求めることはきっとなかったろう。断言できることは案外少ないがかなりの強さでそう言い切れる。これは別な方がこの夏にあげられた動画だけれど、R2好きとしてはうれしい場面をてんこもりなのでたまに見る。カレンが男前。ルルーシュの黒髪はあいかわらずエロい。

大切にずっと抱えたいと思う作品や音が人それぞれあって、でもそれがどれだけ自分によきものを降らせてくれるかを説明するときに、べつのなにかをおとしめて持ち上げるのはできれば避けたい。「嫌い」と「興味がない」を一緒くたにしない。苦手なら苦手でかまわない。ただ、見もしない触れもしない、聴きもしないうちから完全否定するのをやめたとたん愉しみがどかんと増えた。よその人のことは知らない。ただわたしはそれまでいかに頑丈な塀を張り巡らせていたのかを知ることとなる。ちょっと空いた木戸からするりと入り込んできたのがギアスであり、知らず知らずのうちに鎖国状態を維持していたわたしのヲタ心に火を灯し動かした。己の内にあるベルリンの壁が崩壊したかのような歴史的ターニングポイントだった。
 
最近は思いついたときにしか見て回らない動画サイトで、MADを探すのが愉しくてしかたがない時期がたしかにあって。もともと白い目で見がちで自分でCDを選んで聞かない歌い手さんの曲を、うわ、いいんでない?ほしい、ほしい、この音ほしい!と感じさせてくれる作品も少なくなかった。闇雲に好きをふやすより嫌いを減らすほうが呼吸しやすくなるのかもしれない。わたしは好きなことばかりを選んでやってきたから、時おり不都合なことに出くわすたびに、「たまにはこうして人生の負債を支払わなくちゃな、あとからどかんと一括で払えなんて言われても困るしな」なんて思うわけよ。0か100か? そんなの疲れそうでごめんだよ。

好きな作品のアニメ化、実写化の主題歌を担当したアーティストの印象度がそれなりに上がるように、ふだん聴いてる音がのせられた作品はそれまでとは違ったまなざしを向けるようになるだろう。人には趣味趣向ってもんがあるから、万人が良しとする組み合わせは叶わないかもしれないが、納得できない苛立ちやうっぷんを晴らすにはMADだ。MADを見よう。しおれかけた気持ちをしゃきんとさせてくれる組み合わせがきっとある。あると信じて探すのだ。

前出の某ギアスMADが削除されてしまったとき、ニコ動をさまよっていてUVERの「モノクローム」という歌に触れた。亡くなったおじいさんを偲んだ曲なんだそうだ。死生観はからからに乾いてるわりによそさまの生死に関するテーマにはつい反応しがちである。少し前にひさしぶりに聴こうかなと思ったらもう消えていた。いまみてみたら作業用BGMで復活してた。うちのじいさまが死んで8年だ。

好きを増やすのはもうらくらくこなせるようになったから、これからはちょっと後ろを振り返りつつ、取りこぼしてきたものをほいほい拾う作業にとりかかるのもわるくない。ネットはそういう取捨選択に長けたお道具。使い方を誤らなければ上質かつ良質な栄養を得られよう。
 
 

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2009年11月28日

永劫の孤独は埋めてありあまらず。-炎の蜃気楼

 
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-痛恨を噛みしめた朝のおめざ-

あまり後悔をしない性質である。わたしはうっかり、すっかり、しまった、とかがたいへん多い人生を送ってきたので、いちいち後悔してたら身が持たないから。反省はする。あらららら〜と呆れることだって日常茶飯事だ。したがってたいがいのことは笑い話に収束する。そうしないとどこにも動けなくなるのが目に見えてるし、どこかでひとまとめにしてあさってのほうへ転がしておきたいのかもしれない。
 
8年前、こっこさんが活動を中止した焼け野が原の春。わたしは炎の蜃気楼を読み始めた(そういえば同じ日に借りたのがPEACEMAKERだったんだよな)。数ヶ月古本屋をさんざん駆けずり回って既刊32巻に追いついた秋。初めて迎える新刊は33巻。興奮と期待でうほうほしていたところに爆弾が落とされる。

ストーリー的にも、精神的にも大打撃を受けた巻だった。とうていミラージュ初心者がひとりで太刀打ちできるようなものではなく、わたしはよろよろとネットに救いを見出す。ちょうどご自身のサイトを立ち上げたばかりだった絵描きさんとお知り合いになった。ちょうどじいさまが倒れて病院に夜通し詰めてた頃だった。気ぜわしさと、親戚一同の慌しさに辟易していて、いただいたお手紙や紙の上の筆跡や線のった淡い色合いが気持ちによくよく染みた。

その後高知で働くことになった際、先に立ち寄った7月の足摺岬においては、ほぼリアルタイムでミラージュとともに過ごしてきた女(敬称略)とも出会う。今でこそ歴女と呼ばれる人々が全国を巡っているといわれているけど、はるか以前からミラージュ読者はいたるところに出没していたのである。わたしは会ってみたかった。コバルトにおける伏字使用(おんも〜)、涙のクリスマス(開崎さんいらしゃい)、19巻の千秋(ふたりのために橋を架ける男)、十字架ショック(白い牢獄)、赤鯨衆の台頭(またの名を仰木高耶親衛隊)、高耶さんの選択(裏四国)。これらをどう読み解いてきたのか、なにを思ってきたのかを聞いてみたかったんだ。願いは、叶った。

耀変黙示録4 神武の章―炎の蜃気楼(ミラージュ)〈33〉 (コバルト文庫)
-信長の上から目線すらなつかしい-

ミラージュはほんと長くて、おいそれと人にすすめられないのだけれど、読んでると良くも悪くもいろんなところに、場所に、考えに意識が浸透してゆく。それをいやがる人もいるだろうし、同性愛の描写も少なくないからけして無理強いはしない。興味を持ってくれた人に、だめだったらすぐ返してね、といって貸し出すのだ。楽しみ方は十人十色だし、わたしはもともと千秋修平視点でミラージュに入ったから、主題のひとつである景虎と直江の400年に渡る複雑極まりない主従関係を一歩引いたところから傍観していた。そこをメインに読むとまたいろいろ違っていたんだろうと思うけれど、そんなわたしですら撃たれた台詞がこれである。
 
「永劫の孤独を、埋めてありあまるほどの幸福を、おまえに」

かつて作文「コードギアスとミラージュと四月馬鹿。」や前ブログにおいてでも何度か引用しているこの名台詞。ミラージュ読者ならなにかしらひっかかる一文であることは明白である。が、しかしよく見ていただきたい。よーく読んでいただきたい。なにか、違和感を感じやしないか?なにか、そう、なにか。わたしはミラージュ史上最強の一行だといまも思っているしその気持ちが覆ることはたぶんないだろうと断言できるのだけど、落とし穴がそこにあった。今朝、発見した。それはそれはでかい穴だった。

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ブログというのはどんな言葉で検索してたどり着いたかを教えてくれる機能がついていて、わたしはそれを見るのがとっても楽しみ。最近面白かったのがこちらである。4つめのは、YAWARA!の作文でひっかかったらしい。きっとお望みの情報は得られなかったに違いない。ごめんなさい。でもぜったい漢字ちがいだと思う。揉む、じゃなかろうか。
 
で、そんなこんなで今朝のろのろ起き出しておめざ食べながら検索ワードみてたらば、おいでだったわけだよ、「永劫の孤独を、埋めてあまりあるほどの幸福を、おまえに」でいらした方が。これまでも時折とんでくる方もいた。そのつどああやっぱり愛されてるんだなあこの台詞、とかふんふん言ってたら。あらららら〜?なんかおかしくね?って思ったわけよ。じっとよく見たわけですよ。googleの検索結果も見てみたんだよ。そしたらさ、そしたらよ。

「永劫の孤独を、埋めてありあまるほどの幸福を、おまえに」

「永劫の孤独を、埋めてあまりあるほどの幸福を、おまえに」
 
ぎゃー!!! ひらがな読み間違えてるわたし! 初回から! 8年間ずっとずっと、わたしは高耶さんが「ありあまるほどの幸福を、おまえに」って直江に言ってるんだと思ってたー!!ひいっっ、ごめんなさいごめんなさい。水菜先生ごめんなさい。なんらかのご縁でブログに流れ着いていらした方もごめんなさい。そしてなにより8年分のわたし自身にごめんなさい。

ああはずかしい、どうしてこんなになんの迷いもなく間違えつづけることができたのだろう。8年である。8年間、わたしはこの台詞を思い起こすたびに胸がつーんとしてきたのである。そりゃあもう、あまりあるほどに。新刊当時、読んで呆然としてる当時のわたしに、「ノンノン、そこ、違うから もいっかいちゃんとお読みよ」って言いたい!言ってやりたい!

以前わたしは骨フェチ作文で、ネット上の情報を鵜呑みにして自分で確認しないままでいた手首のぐりぐりの名前を、間違えて書いた。気づいてすぐ別の作文「正しい手首のぐりぐりの名前」を書いたときにこれから気をつけようって思ったのに。あー、もう。またやっちまっただよ。願わくば「ありあまる幸福」で検索していらした方が、早く誤りに気づいてくれたらいいな。わたしのように長期に渡って嘆くことにならないように。
 
というわけで、朝っぱらから驚愕混乱痛恨でしっちゃかめっちゃかだったわたしの電話を受けて、「ありあまるじゃ、日本語おかしいでしょう」とげらげら笑いながらばっさり斬ってくれた足摺の女に感謝。たったひとりだったらきっと、しばらく伏せ目がちで過ごしていただろうと思うから。笑い話として共有してくれるのなら、重さがすうっと軽くなる。

ミラージュ作文、別名・千秋のいいひと作文も書きたいなあ。その2で止まってるがな。そして一体いつになったら「赤鯨衆をひっそり擁護しましょう作文」を書き始めることができるのだろう…と今後の行く末をしみじみ憂いつつ今日の作文を終わる。



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2009年11月26日

お茶のみ語りxxxHOLiC籠191話。

 
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こないだ差し歯が欠けた日の帰り道に192話を、ぎっくり首の診察の待ち時間に193話をすでに読んでいる。だから流れはもう知ってるんだけど、読みとばした191話をあらためて手にとっても正しく面白く感じられるということはわたしよっぽどホリック好きなんだなーとふと思った。

ホリツバ読み始めたのは去年のいまくらいなので、読み込んでる時間は1年ぽっちなんだけどページめくるだけで嬉しい作品は久しぶり。まったくもって食わず嫌いはあほらしい。こんなに散々時間と財力かけてあれこれまんが読んできて、お部屋をぐるりと紙の束に囲まれてるがゆえに地震起きるたび本の山崩壊による圧死を心配される。世にこれほどのわんさか出版物が溢れてるなかでこうして心待ちにする作品が、今もたらされてる恩恵を忘れたくないなあって思う。生活にするりと滑り込んできてくれてありがとうや、と。

百目鬼静、これから射らせていただきます!という表紙絵で始まる191話。静ちゃん、実はけっこうなで肩か?あんまそう見えなかったが。こういう肩の線って運動してる人に多い。野球や水泳とか。わたしは極度のなで肩なのでいつだって鞄がずり落ちるのだけれど、こういう人たちは筋肉でふくらんでるだけだから逆にぴったりフィットしそう。
 
「とても…そう とても綺麗で 優しい指をしていたわ」

優しいかー、優しいって言葉は難しいといつも思う。かわいいとか、悲しい嬉しいなら共感しやすいけれど優しさっていうのは人それぞれまったく受け取り方が違う。だいたい優しいって、なんなのさ?わたしの会話のなかに優しさという単語が登場することは滅多にない。わからないから使えない。そんなだから優しいね、って言われてもこの人一体なにを思ってこんなこと言うんだろう…ってつい相手をじっと見返してしまう。優しい指、優しい声、優しい味、優しい色。優しい人。世界はたくさんの優しさで満ちているかのようだけれど、わたしはその輪になかなか混ざれない。いつになったら実感できんだ。

「許し ですか」
 
この回はわたしの手フェチ・骨フェチ心を其処此処でくすぐってくれる。調弦してる女性の左手とか。猫さん後ろ抱きにした男の人の右手とかさ。正しくは尺骨の茎状突起と豆状骨。青森の津軽三味線奏者さんの写真も、撥をじゃんじゃか振り下ろす右手や、弦を押さえる左手ばっかり撮ってた。実際三味線を構えるとわかるんだけど、あの手の角度、あれは簡単にああならないんだよ。あっさり曲がってくれない。たくさん自分の音を奏でてる人しかああならない。なれない。わたしは基本コミック派だけど、この演奏してる見開きのページは本誌サイズだからこそよさが引き立つんだろうな。いいもんをみた。音楽を映像化、視覚化するのはとても難しいのにな。ああ、漫画家ってすごいなあ。目を閉じた四月一日の横顔、黒髪が闇に溶けてる。

「…買いかぶり過ぎです」
 
君ちゃんの伏せ目がちって、いいよね。ぎっくり首になっていま自宅謹慎療養中だから、さあなにか一気読みでもしようかなあと思って積んであるホリック読み始めたけど、いやー、伏線がちゃんとちりばめられてることに感心するわ、当たり前のことなんだけどさ。対価の過不足によるキズとか、「でも、一人じゃないから寂しくなかったでしょ?」「一人のほうが良かったっす!」とかさー。「それにここにあるものは手に入れるべき者の手に渡るための”御休所”みたいなものだから」か。いま3巻なのね。

XXXHOLiC(3)(KCDX)
 
どの職業でもそれは同じでしょう
働きに見合った対価が支払われる
対価に見合った働きをする
それがプロよ

うー、こないだのふとん敷き23組の対価がいまのこの絶対安静なのか? 職場の人々から「どうえ?(どう?)」って電話もらうたびごめんなさいとしかいいようがないの。だって、いまの京都って一年でいちばん忙しいんだもの!みんな連休もとれないくらい手が足りないのに!申し訳なさすぎてたまらん。でも首以外はまるごと元気なの。すこしは動かないと治りの具合もわからないから、梅雨ぶりにシフォンケーキ焼いてる。君ちゃんがひまわりちゃんに作ったいちごのシフォン、春になったら作ってみようか。わたしのはどうも茶色いばかりで色気がない。黒砂糖、紅茶、コーヒー味。いっぺん砂糖なしでチーズとか入れて作ってみたいのだけどなかなか勇気がでない。おからパウダーも買ってあるから使ってみたいなあ。もちもち仕上がりそうでしょ。ああ、うまそう。

雲の上のキスケさん 5 (ヤングユーコミックス コーラスシリーズ)
-キスケさんと繭子ちゃん-

そういえば三味線の女の人のお名前、繭子さんだと思ってたんだけどどうもどっかで勘ちがいしたみたい。あらら、なんでだ。鴨居まさねさん読んでたから?「君の天井は僕の床」おもろかったー。「家出のじかん」をストーリー仕立てにしたかんじ。



posted by 雨屋杜美 | まんが-ツバサ・xxxHOLiC | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月24日

泣き顔、女装、こぶたさん。-PEACE MAKER

 


男の泣き顔にそそられる自分を思い出した
10:12 PM Nov 18th webで

最近そういう機会にまったく恵まれなかったもんで久しく忘れかけてたけど、わたし泣いてる男の人みるの心底好きなんだよね。生でも、創作でも。前に「男の泣き顔フェチ」でうぐ雨に検索してきた人がおいでだったけどさ、もう鍋でもつつきながらその方と語らいたいくらい。あくまでも泣いてるのを見る、のが好きなのであって泣かせるのが好きなわけではないので、あしからず。そして骨とはちがって欲情はしないから厳密に言うと泣き顔フェチですらないのだろう。

それにしてもどうしよう。こないだ作文に貼った動画(PEACE MAKER19話3-3)毎日しつこく見すぎて、頭のなかでとにかくさんざん台詞がリピートしてる。ススムだよ、ススム。「前言撤回は、こっちのほうやな…」「ちょお待ち」「こぉら」などなども、いい。がしかし、とくにこのふたつがねえ。いいよねえ。たまらんねぇ、うっとりやねぇ。

「謝まんなや、うっとうしい…っ」→京都に住んでみてようやくわかったニュアンス。京都の「うっとうしい」は、よその土地で使われてる鬱陶しいとは幾分違う感覚なのだ。うーん、字面よりももすこしライトなイメージ、あーやだやだ、やってられん!みたいな。「いやらしい」もそうだよね。卑猥な意味じゃあなくて、ねちっこい?計算高い?ずる賢い?いや、ちょっとちがうか。日常のなかで使ってるのをいざ説明するのってむつかしいな。「いずい」を満足に翻訳できないのと一緒。京都民のつっこみ求む。

「阿呆らしゅうて腹立って、腹立ちすぎて、あっちこっち痛とうて、かなわん…!」→いつもススムと一緒に「かなわん!」ってにやにやしながら言うわたしこそがど阿呆である。かなわんのはこっちだ、悶え死にさす気か!っていう切実さがね。たまらんね。

ああもう、何回みたことだろう。1日10回以上は確実。薄れないね、飽きないねえ、ちっとも。アニメってすごいなあ。映像と音楽と声優さんの力量の絶妙なバランスがその世界を生み出す。声優さんの仕事を俳優さんや芸人さんや、話題先行の著名人に託すなんて愚の骨頂だと思う。漫画読みとしてはやっぱりどの作品も原作そのものを越えることはないだろうって断言してるけどさ、いやはや、この19話はとにもかくにもよくできてる。非の打ち所なし!本編そのままを忠実に再現してるのが勝因なのかな。最後の見守るあゆ姉も、ちゃんと。

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20話もいいよねえ…はう。枡屋御用改めの回。あゆ姉の血に染まった藤色の着物を身にまとったススムがね。ススム女装版美しすぎるよねえ、ああ。実写化のススムはもすこし若かったら小栗旬さんがよかったんじゃなかろうか。去年の携帯電話のCMの女姿は衝撃的だった。これ思いついてから、脳内ではススムは小栗さんで動いておいでです。この回の沖田さん「今日くらいは…好きにさせてあげたいんです」が好きだったなあ、原作。

ピスメドラマのキャストもぼちぼち発表になってるらしいけどものの見事に三丁目の夕日の須賀健太くんしか知らん…。テレビがないとこういうとき浦島太郎気分を味わう。顔と名前が一致しないとかいうレベルじゃないのだ。まるっきり存じ上げないのである。新撰組リアン?なにそれ。「ぼくの地球を守って」のキチェスの付き人か?モードが作るケーキはおいしそうだったっけ。で、テニミュ(某テニス漫画原作のミュージカル)の人とか出るの、ふーん。で?永倉さんはどーした、新八つぁんは! なんでわたしが気になる役どころばかりを後出しじゃんけんするんだTBS!龍馬伝の中岡慎太郎はだれなんだ、NHK!もう師走はすぐそこまで迫ってるんだぜ、焦らしプレイもたいがいにしてほしい。

22話の池田屋もよくできてる。色味がモノクロがかってて、なにげに3D風だし。しかしこの血まみれどろっどろを実写化すんのかい。そらゴールデンには無理だわな。血のりとかわざとらしいくらいに赤そう。でもそんな闇のなかドS吉田に踏みつけられて血反吐吐く沖田さんみてやっとこ目覚めた鉄(須賀くん)が「もう、死なせねえぞ…!」って言うの?そらいいわ。ぴったりぴったり。


ちなみにこないだ書いた吉田稔麿かさかさ歩きは3-3の3:12から〜、やっぱホラーだ…ひぃっ。最後まで見ると小窓のリンクから3-2になどにとべます。最初に貼った沖田さんのMADもここんとこよく見てる。この歌大好きなのね、ステファニー「フレンズ」。それにしてもドラマではトシゾーどうすんだろ。猫とかに変更なってたらしょんぼりだなあ。TBSさん、ここはミニブタでいきましょうよ。正統派に、こぶたさんで。
 


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2009年11月23日

チロルチョコでも歯は欠ける-余白14

 
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今宵も もやしと なかよしこよし 10:37 PM Nov 6th webで
もやしが冷蔵庫にないと友達が学校休んだ日の気分になる。さみしい。いなくたって平気だけど、つまらない。そこにいるっていう安心感に欠ける。もともと好きではあったけれど、ここまで思い馳せるようになったのは生協の個人宅配で買うようになってからだ。もやしといえば足の早い野菜の筆頭だけれどこの2袋60円はすばらしい。根をとりのぞいているからなのか、それともビニールではなく紙の袋に入っているからなのかは知らない。そのどっちでもあるだろうと思う。毎週6袋ずつ届く。180円の揺るがなき喜びよ!いままでこのブログでも、個人的な紙のものにせよ、会話でもメールでも、さんざん骨骨、脇役、献血、雨女って言ってきたけど、きっと「ああ、あのもやしの人」と認知される日もそう遠くないだろう。

会話は荷が重いから、さっさとその荷を下ろしたい 12:42 AM Nov 8th webで
最近、毎日つぶやいてる呪文。江國香織「ホリー・ガーデン」の果歩みたいに、ふいにぼろぼろこぼれ出る。果歩ちゃんのは、尾形亀之助だった。

ホリー・ガーデン (新潮文庫)

年を重ねるごとに愛想の良さが薄れゆくようだ 11:55 PM Nov 7th webで
というより、取り繕わなくなってきてるのかもしれない。とにかく四六時中愛想だけはいい子どもだったし、大人になってからも愛想道に背いたことはなかった。でも喋るひとが無口な人を好む傾向にあるように、その愛想の大安売りに時おり自分でいらいらする。だけど感じよく接することができない人は接客業につくべきじゃないってのが持論だから、いまのやり方を変えるつもりはなくて。ただ仕事と素とのギアチェンジがうまくできなくなるようではいけないと思うわけ。仕事仕事になると笑えなくなるのは、体力よりもこの愛想力が枯渇するんだろうな。人生における愛想力を地道にすり減らしていけば、還暦を迎えるころにはさぞや無口で無愛想なばあさまになりそう。それはそれでお愉しみじゃありませんこと?

チロルチョコ食べて差し歯の前面がごっそり欠けた朝 11:29 AM Nov 16th webで
朝の仕事のあいまにもらったチロルチョコ食べたら、奥歯でがりっと音がした。つまんでみたら削ったチーズのような破片。欠けた差し歯だった。抜けたんじゃんなくて前の部分が割れたようだった。だめもとで持ってったら、歯医者さんがあっさりくっつけてくれた。ものの10分で。お代なんて1050円。今月は差し歯貧乏を覚悟してたのに拍子抜けだよ。帰り道、おいしいパン買ってほくほく、コンビニでヤンマガ読んだらxxxHOLiCがとってもよかったんだよね。籠が始まってからいちばん読み応えあった、仕事行くのもったいないくらいの余韻。そうだよ、ひとりじゃないんだぞ、四月一日。またお茶のみ語りであらためて。

秋の京都は渋滞、混雑、行列との戦いが待ってる 11:39 PM Nov 15th webで
おかげでこの季節はますます家から出なくなる 11:49 PM Nov 15th webで
連休はどこもかしこも人だらけだったことだろう。毎年のことながら、みんな京都の紅葉が大好きなんだなあって感心する。わたしは赤っていう色じたいが苦手だから昔っから紅葉に無関心で、むしろできれば見ないですませてしまいたいくらいなのだけど。今日はお風呂場で転んでけがしはった仲居さんの代打で休日出勤。が、30分もしないうちにぎっくり首だか、ぎっくり背中か、とにかく「ぎっくり腰のもっと上バージョン」に突如襲われて仕事にならず、夕方観光客の間を縫うようにすごすご帰ってきた。まったくなんのためのピンチヒッターなのだろう。あまりの痛さに廊下でまったく動けなくなってフロントに電話でSOS。痛いし情けないし申し訳ないし混乱するしで、べそべそべそまでかいた。自分の嗚咽が昔実家で飼ってた子豚そっくりだったよ。首さえしっかり固定すればちょっと痛むくらいでのろのろ歩ける。こうしてパソコンをいじるくらいならわけない。けど首を下げたりひねる動作がまるでできない。ガラスの仮面でいったら「石の微笑」の人形を演じてるときのマヤみたいなもんだ。明日レントゲン撮る。
 
たぐり寄せて、いけ 9:48 PM Nov 16th webで
いこう、いこう。あれもこれも。
 
 

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2009年11月19日

もう音楽ですらない。-fra-foa「小さなひかり。」

 

もっとたくさん、次を、次をと望むといなくなる。音楽はすごく好きなのをなんべんも、なんべんも擦り切れるのを恐れずに聴ければそれでいいのに新しい音を心待ちにしてると解散とか活動中止とか休止とか、ああ、また…、ああ、もう聴かれない…とこれまでさんざんしょげてきた。

fra-foaもそういうバンドのひとつだけれど、時おり無性に聴きたくなる時期がある。雨の日とか、そうでなくともいまにも降りだしそうな濃い曇りの日なんかの、世の中に自分ひとりのような気配を感じる時などに。(→作文「雨のフラホア、林檎の骨」参照)よってわたしのなかで雨とフラホアはたいていセットなのだけど、この「小さなひかり。」って曲はちょっと違う。歌じゃなく、映像にのまれる感覚を味わえる曲なんだ。歌詞はこちら

小さなひかり。

風が気持ちよく吹く快晴の日なんかには、容赦なく自動的に短編映画のような映像が流れ出す仕組みになっている。監督、演出、わたし。自分で撮って編集したかのようなありありとした情景が音に溶けて幾年も発酵し続けている。そんなふうに捉えてる曲はおそらく他にないように思う。ほどよくいい感じにこなれてきて再生しててもとても心地よい。酒いらず、薬いらずの大トリップである。まったくもってどこまでも安上がりな女だよ。

ひとりで空みあげていた 体がからっぽになった ふと思う
あなたが暮らしてる場所も 同じ青なら、いいのに

会いたいひとがいて、もはや会えないひともいて。おかげさまで忘れずにいる自由までは取り上げられないですんでるから、わたしはせっせと記憶をかき混ぜながら想像する。元気であるといいなと思う。きれいなものを見て好きなものに囲まれて、美味しいものをたらふくたいらげていてほしいと思う。いちばん好きなのはこの下の節だ。もしわたしが映画監督だったら記者会見なんかで「この画を撮りたくてこの作品ができました」って言いたいぐらい好き。好きで好きでたまらないからこそバンドが解散してしまってからもあの映像は消えず、自分の喉で歌うことをやめられないんだろう。

声がなくても 歌えることを知った
言葉は宙に舞った

この曲はふだん聴くことができない。シングルは実家にあって、アルバム「13leaves」はMDでしか持っていないからだ。ずっとCD探してはいるんだけど、まだ手元に舞い込んで来てくれない。ありがたいことにラストライブでこの曲を演奏した模様を見ることならできる。CDよりも、ずっといい。3:52からの間奏のあとの流れは素晴らしい。メンバーの表情を見ててもわかる。そんな演奏だった。そういう歌い方だった。詞にあるように「深く刻む」ための音だった。↓最初1分は音量低いよ↓


さっき会社の健康診断&インフルエンザ予防接種から帰ってきたとこで。ファミリーマートのビーフンと、さつまいもとひじきのサラダ(うまい!芋ほっくほく)をいただきながら器用にもはらはら泣けてくるくらいには、わたしはこの動画に打たれて響く。あーfra-foaのライブいっぺん行ってみたかったな!もう叶わないことなのは解っているんだけど。やっぱりライブだ!好きならなにがなんでも行かなくてはだめだ!その場にいなくちゃ受け取れないものが絶対あるんだ!

fra-foaの音が新たに産み落とされることがなくなってからも、小さなひかりはこうしてわたしの内側にぽわわーんと灯り続けてきた。もしかしたらもう音楽ですらないのかもしれない。あれだけくっきりと景色を刻まれてしまったんだから、もはや呪(まじない)のような様相を呈している。なんてすてきなのろいなのだろう。こんなに長くわたしを守ってくれてありがとうって、いつかちゃんと言えたらいいのに。
 
タグ:fra-foa 動画


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2009年11月17日

お粥さん語り、PEACE MAKERドラマ化記念。

 
新撰組異聞PEACE MAKER (1) (BLADE COMICS―MAGGARDEN MASTERPIECE COLLECTION) 新撰組異聞PEACE MAKER (2) (BLADE COMICS―MAGGARDEN MASTERPIECE COLLECTION) 新撰組異聞PEACE MAKER (3) (BLADE COMICS―MAGGARDEN MASTERPIECE COLLECTION) 新撰組異聞PEACE MAKER (4) (BLADE COMICS―MAGGARDEN MASTERPIECE COLLECTION) 新撰組異聞PEACE MAKER (5) (BLADE COMICS―MAGGARDEN MASTERPIECE COLLECTION)
-新装版は買ってない-

とんでもない鬱フラグ立てっぱなしの絶頂で連載が中断して早数年、さあ本編はいつはじまるのさと思いきや、ネット配信で新シリーズ発表。祝・丸投げ回避!H×Hに続きピスメ再開。頓挫していた物語に進展があるという報せは小躍りものである。あとは第1話の鉄之助が日野に向かって突っ走るとこまで、ぜひともノンストップでぶっちぎっていただきたい。連載休止のあれは鈴を黒くしすぎて作者もどうしたらいいかわからなくなったんだろうから、ここは一発すかっといってほしい。
 
そしてドラマ化。大河の龍馬伝の流れで幕末いっちゃう?みたいなかんじなのTBSさん。よし、お粥さんでも食べながらアニメでもみよっかなーとYoutube。声優さん、沖田さんが隠の王・壬晴の斎賀みつきさんで、新八っつあんが十二国記・六太の山口勝平さんで?サンナンさんがER・グリーン先生(シュナイゼル)井上倫宏さん、んでススムが櫻井孝宏さん。関西弁のスザクなわけね?しかも黒スザク(ちょっと声色ちがうけど)か。前みたころはギアスみてなかったしなあ、ぐふふ、いやはや愉しいな。声優さんにくわしい人ってこういう気持ちなのか、新番組始まるたび、いつも。そら、愉しいわ。はまるわな。

で、苦手でも、見てて苦しくなってもここははずせないだろうってのいう、あゆ姉の回からいってみた。雨ふりの拷問というたいへん痛ましいシーンからはじまる19話。単行本でいったら4巻のあたりだっけ。捕縛されて、拷問されて、打ち捨てられて。雨が降る。雨が降りしきる灰色の景色のなかで、あゆ姉の真っ赤な血だけが流れてる、あの回。紙面だと白と黒の二色刷りでもわかる。見えるんだよね。その色が。アニメになるとこれまた鮮やかに目の前にそのまま広がる。雨音、風音、そして声。

真っ青な、どこまでも抜けるような青い空。下の動画は屋根の上でふたり、背中合わせでいるところから始まる。鉄とススムが泣いてる。互いに悔やみながらあゆ姉を想い偲ぶ。ここは読むたびいつもCoccoのポロメリアが脳内再生されるんだ。晴れの日の歌。空が高ければ高いほどこの歌が届きますようにってのどを震わせたくなるよ。場面はいつしか夕方に。わたしの好きな時間と空気。
 


「なんや犬っころが 負け犬笑いに来よったんか」

しかしアニメのススムってどうしてこげにお色気ムンムン?!こんなエロかったっけ、お粥ぷいーって吹きそうになったわ。4分前後の表情!しかもなんだ、鉄に呼び捨てにされて頬赤らめる表情。おいおい、無駄に破壊力ありすぎだろう。ひさしぶりにみたからかなあ、刺激が強すぎたのか。ぎゃあぎゃあ騒ぎすぎて寒さがとんだわ。せっかくのお休みなのにまたもや雨女の本領発揮な上に寒すぎてぶるぶる動けないくらいだったのに、がぜんやる気が満ちてきたぞ。やっぱり感情を動かすには体力も使う。疲れてるとなにも考えたくなくなるわけだ。

にしてもPEACEMAKERの沖田さんみてると創作ものの影響ってとんでもなく大きいよなあって思う。よくこの作品の史実がうんたらかんたらでごねごね言う人もいるけど、もともとタイトルに新撰組異聞ってあるじゃないか。いいじゃないの、つくりものはつくりもので愉しめば。だいたい史実だってあてになんかならないんだから。学校の図書室に置くわけでもないのに。おとといJIN-仁-借りて一気読みしたら沖田さんが肖像画のまんまで描かれてて好感触だった。右見ても左見ても線の細い見目麗しい沖田総司じゃつまらないしさ、たまには史実に沿うのもいいよね。

いま池田屋なんだけど、ここは連載当時から「星に願いを」が脳内再生してた。立ち読みしてて流れてきたの覚えてる。あの曲の重低音とギターのうねりが、闇色のなかで繰り広げられる動乱にぴったりくるんだろう。PVのイメージともかぶるのかもな。
Mステライブの動画 http://www.youtube.com/watch?v=eSlK7aNK9lw

22話。吉田稔麿・真っ黒な廊下の向こうからのひたひた登場シーン。のちの畳上のかさかさ歩き、こりゃもうホラーだ、ホラー。ひいぃぃっってなった。あれはこわい、こわいよ! 23話、鉄が股くぐりするときって沖田さん「今だ!」って言うんじゃなかったっけ?アニメでは見事にはしょられたな。あれ、あったほうよかったのに。

ドラマ化は無印のみらしいけど、やっぱり原作ものは演出より脚本よりキャスティングが生命線だとわたしは思う。西洋骨董洋菓子店の橘(ふっくら気味だった当時の椎名桔平氏)や花ざかりの君たちへの梅田先生のようなことにはならないように、じっくり祈りたいところ。

せめて、せめて新八っつあんとススムははずさないでおくんなまし。どうせ土方さんと沖田さんは局側も力入れるだろうからそこはあんまり心配してないけど、永倉・原田・藤堂あたりはあやしい。かなーり怪しい。ススムあたりにジャニーズを持ってこられる気がしないでもない。…と思ったらオーディションを開くんだそうで。プロアマ問わずでドラマのあとそのキャストのまま舞台までやるんだってさ。すごいな、本腰入れてる感じね。それなりにお金もかけそうな匂いがぷんぷんするので、そんなにおかちめんこなことにはならないように願いたい。

うちのテレビは線ひっこぬかれて物置台になってるので、見るとしたら動画サイトかDVDになってからになるか。ああ、主題歌はぜひとも気合入れていただきたい!ピスメのアニメのOP、これはひどい!どれぐらいかというと、BLOOD+とコードギアスのジンが担当した時期のレベルである。人によって好みや趣向もあろうから一概には言えないけどさ。アニメのOP/EDはそれだけで1本の作品だとわたしは考えているのでせっかくのそれを通しでみられやしないなんて、なーんともったいないって思いたくもなるわけさ。

その点ミスチルは毎度毎度素晴らしいと思う。ドラマや映画の主題歌に起用されたらその作品に合わせた音と詞をきちんと練り上げて、おいしく仕上げる術に長けてる。アンティーク第1話でyouthfuldaysが流れたときの衝撃は大きかったなあ。Tomorrow never knowsとか、未だに若者のすべての映像ごと色濃く残ってる。Drawingもすき。あんなにたくさん色んな作品に使われててもちゃんと特色を出せる職人技。ワンピース劇場版も愉しみだ。

レンジでおかゆ PS-G11

こないだロフトで買った「レンジでおかゆ」のかげで、以前よりとろとろしたお粥さんをいただいている。今日は、ひじきと梅をまぜてぐーるぐる。アニメみながら茶碗で2杯。ごちそうさまでした。うまかった。
 
…しつこいけど、やっぱりアニメの山崎烝はエロいと思う。
 
 

posted by 雨屋杜美 | ドラマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

蒔剛を骨抜きにしてください。-秘密

 
秘密(トップ・シークレット) 6 (ジェッツコミックス)

「何のためにそこまで……? もうみんな死んでしまっているんですよ…」
「みんな死んでしまったからだ
みんな死んで もう誰も語る口を持たないから
だから だから」

清水玲子「秘密(6)」より

最新刊もう1冊出てるけどまだ古本屋におりてこない。早いもので「WILD CATS」の巻末に収録されてた第1作が連載の運びとなりもう7冊も出てるのか。あっというまだったなあという印象。アニメ化もされたし。この巻では時間軸が3年前に遡る。いまはそれなりに人員が揃っている「第9」も、貝沼事件により蒔さんたった一人だった時期があったわけだ。

ちなみに秘密をご存知ない方にぺろっとご説明。すこし先の未来。死者の脳をMRIにかけてその人がみたものを映像に再現して分析する「MRI捜査」が開始され、凶悪事件の真相究明の担うように〜というおはなし。みたものすべて、である。当然死者のプライバシーもへったくれもありはしない。倫理的にどうなんだという声も少なくなく、いつも担当機関である「第9」はいろんな重圧がかかってる。その室長が蒔剛その人。作者いわくHydeをイメージしてるという華奢で華麗、年齢不詳の中性的なその容姿は、毎回表紙やカラー口絵を美しく彩りいつだって目の保養になる。6巻でよかったのは、そんな蒔さんのもとに捜査1課から岡部警部が配属された時のこんなひとこと。

「警視正 蒔警視正…… それは……ネマキなのかね シャツなのかね」
「シャツだけどネマキです」

のちに「第9」の良心、いやいや精神安定剤男となる岡部さんは、蒔さんや青木くんがいかに暴走しようともまっとうな反応、ツッコミ、フォローをかかさない絶大の揺るがなさを持つ。腕には勲章のようにびっしりと濃い毛をなびかせ、きっと胸毛もぼうぼうに違いない…と連想させる(させなくたっていい)。幻覚にうかされて自ら怪我を負った蒔さんに対して、第三者の目からは犯人扱いされてありあまるほどの説得力のある風貌は、病室で目覚めた蒔さんに対して、「あーーーやっぱそうだ あんたがもうひとまわりムサイ男でオレが160センチの小男だったら 同じ状況でももっともっと正しい見解が…っ」と嘆いちゃうほどである。36歳なのに大学卒業の娘がいてもおかしくなさそうな貫禄だそうな。

シリーズものは登場人物の魅力がそれぞれ際立つころになると、お願いだからこの人は幸せにしてください作者さま!と祈らずにはいられないキャラを自分のなかで決めるようになる。秘密においてその筆頭は蒔さんなんだけど。とくに4巻のあれ(目隠ししちゃうやつ)をみちゃったら、そしてこの6巻で貝沼事件がいかに蒔さんを闇に食らおうとしているのかを知っちゃったら、もう。蒔さんが気を抜く場所は?甘えられる人はいるのか?

じゃあ青木くんが蒔さんをこちら側へ繋ぎ止めるのかと思いきや、過去に鈴木さんの脳を見てしまったことで青木くん自身もぐらぐらである。くわえて三好先生とのこともあり、彼に安定感を求めるのはまだまだ先になりそうだ。かといって岡部さんじゃ安定感はたっぷりでも、やっぱり弱い。絵的にも、ストーリー的にもだ。蒔さんも岡部さんも引いた線を越えてまでずけずけ入るこむような関わり方はもたないだろうしな。
 
もう、誰かいないの?わたしはこういう不安定なかんじはいやなんだよ。なんかこう、ベルセルクでいったらキャスカとふたり旅してるときのガッツをみてるようだ。この心許ない不安を味わうのがたまらなくこたえる。もうひとり、誰かもうひとりわたしがうはうはできる脇役がほしい! 蒔さんをしっかり支え、青木くんの道を示し、第9の空気をほどよく和ませ清清しい風を送り込み、なおかつ事件の伸展に多大なる貢献ができる能力を持つ人物の登場をわたしはここに強く望む!

ミラージュでいったら千秋修平、ホリックでいったらモコナ、ツバサだったら黒ファイ、ギアスだったらC.C.(オレンジでもよし)、どっかにいねえがー!いたらもれなく出て来いー!そして見せてくれ、ゆるゆるにもれなく骨抜きにされた蒔さんを、わたしに!

あれ、本編の事件についてはまったく触れられなかったぞ。

切実で重い、でもいつどこで起こってもおかしくない悲しい事件だった。わたしは思ったよ。どんだけしんどくても、苦しかろうと、おろそかにしてはいけないのは息抜き、生きがい、そして他者とのかかわり方なんだと。狭いところに立ち尽くしてしまうと、その囲いのなかの世界しか見られない、知ることもできない。そこが幸せという人もいるだろう、そういう幸せがあってもいいだろう。幸福な感情に触れるための手段を選び取るのは、結局自分自身でしかない。人が人を幸せにできるなんて救えるだなんておごりでしかない。産むしかない、自分で。

というわけで分類は脇役フリークにおいておくことにする。
 

posted by 雨屋杜美 | 脇役フリーク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月15日

必要な分だけ作用する。-阿部芙蓉美

 

阿部芙蓉美さんのこと、わたしはなんも知らない。たまたまYou tubeでリンクを辿ってたら、その音に会った。あらあら、まー、べっぴんさんだこと。というのが第一印象で。あとは喉を張りつめて歌わない歌唱法がたいへんめずらしかった。わたしはずっと長いこと、いつだってお腹の底から喉に、そして頭のてっぺんから抜けるように歌う女の人たちの声ばかりを好んで聴いていたから。

10月は音楽をあまり必要としなかった。この動画をくり返し流していた。ベランダで歌う芙蓉美さんを尻目に好き勝手にうろうろするにゃんこがいい。いちばん最後のカットを見たくてそのあたりになるとわざわざパソコンの前に座ったりしてた。そして鳥のさえずり。窓が閉ざされた自分の部屋にいるのを忘れるくらい、チチチチ、ちゅんちゅんいってる。

ニコニコ動画とちがってYou tubeはリピート再生できなくて不便だなあと思ってたら、URLに「repeat」と入力するだけで延々と流れ続けてくれると知った。「youtube」と「.com」の間。ちょうど聴き始めたころにtwitterで教わって、開け放つ窓がおためし第1号だった。

アルバムをじゅんぐり聴いている。朝でも夜でも降っても晴れても、この人の声はいつだって一様に平らに、穏やかにこちら側にすべりこんでくる。負担にならない、けして。聴く人たちそれぞれに、必要な分だけきちんと作用する音楽だと思う。
 


posted by 雨屋杜美 | 歌-女性Vo. | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月13日

お茶のみ語りxxxHOLiC籠-189、190話。

 
189話。三味線、触ったことあるある。青森に仕事で行ったとき、空き時間に津軽三味線の体験教室へ。数ヶ月ごとに各流派持ち回りで担当するというなかなか粋な催しものだったが、わたしはうっかりバチを落っことして欠かしてしまうという失態まで演じた。お師匠さん方は素で笑っていたが、運営しているアスパム(青森駅ちかくのピラミッド状の建物)の係の人の引きつった顔が忘れられない。初心者練習用のとはいえバチ、安くはないらしいから。津軽三味線の強い音、あれは骨に響くんだよね。バチをがっつり楽器に当てるから。2回生演奏を聴いたけど腹の奥のほうがぶわんぶわん揺さぶられるような感覚を得た。音色そのものよりあのぶちあてる音に心が動かされた。そうか、あれは犬の皮でできてるのか。

うしおととら (1) (小学館文庫)
-アスパムはなまはげの章で出てくる-
「おまえは其処で乾いてゆけ」
 
ってなわけで、繭子さんは人間なんだね。アヤカシ?とか疑ってごめんなさい。にっこりと口に指をそえて「ほうら」がすてきだった。真似しよう、真似しようこれ。わたしは外づらがだいぶいいので、仕事中はあんた誰?ってくらいお上品ぶることができる。担当する部屋のお客さんのタイプによってキャラ設定までかえる。限りなく上品な仲居さんを求めていそうなら、ころころ笑って「さようでございますか」とか言っちゃうし。”京都の仲居さん”を望んでるようならそれ相応に。仲居なんか眼中になさそうな若いカップルなら当たり障りのない程度に料理を運んでさっさと部屋を出る。あ、「ほうら」はお客さんには使えないか。日常で使おう。

で、酒飲み交わしながらあっさり交尾とかいっちゃう静ちゃん。「淡々と言うなよ」とつっこむ四月一日。わー、温度差感じる!「こ、交尾なんて言うなー!!」じゃないのね、そこ。わたしはとにかく籠初回のしなだれ君ちゃんのお色気っぷりがあまりにもあまりのもセンセーショナルだったけど、いまの踊らない君ちゃんも悪くはないと思ってる(誰も悪いなんて言ってない)。ただ、2人とも落ち着きキャラだとなんつーか、テンポがさー、こうお菓子で言ったら干菓子みたいな?え、もうちょっと生クリームのふわっとして甘さとか、ぷるぷるふるえるゼリーみたいな弾力がほしいかな、ってかんじで。要はバランスだよね。干菓子はお抹茶のときだけでいいよ。

しかし、「あの後は全く ね」のコマの四月一日の下半身。なんだー、あれ。君ちゃん、まるで人魚、男の人魚!下半身はかくも美しい鱗につつまれております!っていうような艶かしさ。男の人にああいうライン出されたら女子一同立つ瀬なかろう。と、みとれる。

赤い蝋燭と人魚
-酒井駒子さん、好きです-

そして190話。真っ暗な闇に佇む四月一日。そっか、夢の中だと眼鏡はいらないんだ。この目を開けてからの4コマがすごくいい、深くて気に入った。そして猫さま登場。「打って」。ぶって、か。夢から醒めたあと宝物庫で探し出したのは蝶の柄が描かれた黒いバチ…。ここで着目すべきなのは百目鬼静と四月一日君尋の体格差でしょう。な、なぜフルネームなのかはつっこみご無用。いやー、正直ここまでとは思わんかったな。189話でも静ちゃん背中でっかいなー、肩もしっかりしてんなーと骨フェチ目線でみて4年の間に成長期も終わったんだなあってしみじみしてたんだが、いやこれにはびっくりだ。もはや頭いっこ分違う…。

わたしのなかには複数の視線が混在していて、長年のまんが読みとしての冷静な目、つっこむどこはねえがーっと血気さかんななまはげのような目、思い出してはうほうほできるポイントを探したい萌えっ子目、妄想列車が突っ走る腐女子目、印象深い線画や台詞を拾い集める収集目などなどが舐めるように作品を見渡している。忘れないように、じんわりと心身に染みこむように、それぞれが協力しあってる気がする。
 
もう一度ごちそうさまがききたくて。―ちかごろ人気の、うちのごはん140選
-栗原さんはごちそうさまシリーズだけ、持ってる-

にしても侑子さんは不在ながら、君ちゃん静ちゃんモコナ、そしてマルモロの暮らしっぷりはなかなかにぎやかなようでおかーさんはほっとしました。ハーブなんて植えてんだね。入浴剤のかわりに摘みたてハーブなんか入れてたりすんのか。君ちゃんのバジルのパスタなんてうまそうだな、わたしは栗原はるみさんの教えを守ってバジルスパには昆布茶を入れるぞ。個人的にはバジルにはツナが合うと思ってるのでほかの野菜も大きめにゆでて、ざっくざっくと混ぜてしまう。

ああ、そういや食洗機も買ったんだ。店主は手あれなんかしちゃいけないものね。パン焼き機やもちつき機まであったらど、ど、ど、どうしよう…(堀鍔学園4の百目鬼風にお読みください)。うちのいなかはもちつき機は各家庭標準装備だったんだが、あれは関西地方でたこ焼き機が全家庭にあるのとおんなじレベルの所持率だったと推測する。子どものころはしゃもじに水をつけて、ごごごごと回りに回り続けるお餅をぺたぺた叩くのが仕事だった。いい音すんだな、これが。ぱしーん、ぺしーん。尻でもはたいているかのような音。

***
 
というわけでたいへん久しぶりの茶のみ語りでした。美しくヤンマガからホリックのとこだけ切り取って手渡してくれるたまりさん、いつもありがとう。柿もおいしかった!

先週くらいからTOPに画像をのっけてる。必要にかられないと撮りっぱなしで放置してしまう自分の悪癖をなんとかしようと思って。所詮追いつめられないと動かない女である。ぼちぼち気まぐれに変えよう。ちなみに前回のは千本今出川の「静香」のホットケーキ。シロップがじゅわじゅわしておいしい。今回のは平安神宮の近くにあるタルトタタンで有名なラ・ヴァチュールのくるみのタルト。ナイフとフォークでいただくのだ。去年の春前に行ったっきり。店主のおばあさんにお会いしてみたいなあ。ひとつのなにかを何十年もやり通してる方の空気に触れたい。
  

posted by 雨屋杜美 | まんが-ツバサ・xxxHOLiC | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月09日

こっこさんが蒔いた種。

 
大丈夫であるように-Cocco 終らない旅-(初回限定盤) [DVD] 大丈夫であるように-Cocco 終らない旅- [DVD]

さてさて、「大丈夫であるように-Cocco 終らない旅-」のDVDがついに発売です。公開から約1年弱。上映館が少なかったせいもあったしわたしの知人友人も観たかったけどみられなかったと嘆いていたのだけれど、これでみんなといろいろ話せるなあって愉しみにしてきた。もうすぐ、もうすぐだよ。

今年の1月。大あわてでバスに乗り込んで映画館を求めてさまよい歩き、真冬に汗だらだら流してわたしは劇場の椅子に座った。ほんの数人の観客。観ているあいだというもの、自分のも含めて受け手の感情がしんしんその小さな部屋に満ちてゆくような気配があって、ひとりで観に行った気がしなかった。もともと映画はひとりでしか観に行かず、いちばん後ろの席じゃないと苦痛をおぼえる。よその人の近くで愉しみを得難い体質であるはずなのに、あのときの雰囲気はたいそう心地よいものだった。
 
あの日みたいっぺんこっきりから書いた作文を、ときおり読み返す。文字数に換算したらうぐ雨のなかでもトップ3に入る長さがゆえに一時まっぷたつに分けていた記事だけれど、やっぱ長いのは長いままでもいいかなあと思って、最近またくっつけてみた。夏以降のこっこ作文ではいつもこっこさん、と書くけどこのときはまだあっちゃん呼ばわりなのがほほえましい。


「大丈夫であるように」という1本の映画をみて、まだ気持ちがほてっている勢いのままを文字にまとめておきたかったんだけど、元来わたしは感想ってものを書くのが苦手だ。もっとね、ちゃんと書けたらいいのにっていつも思うわけよ。いつもだ。自分で創作できないなら、せめていいものを共に味わってうきうき話したいなあって思うんだよ。

わたしは本やまんがの所有欲だけは飛びぬけて強いけど、それ以外のたとえばCDやDVDなんかはそうでもない。ジャケットを見たり歌詞カードもあれば助かるけれども、基本聴ければ見られればそれでいいし、初回特典もあまり興味がない。今回のDVD初回盤にはシングルと写真集とポスターがつくらしい。通常版とどっち買おうかいまだに考え中。CDが「鳥の歌」じゃなく「藍に深し」であったなら一も二もなく飛びついただろうけど。鳥の歌はあの場で歌われてこそ素晴らしかったんじゃなかろうかって気もする。アレンジ次第か。


-かみーかーざーり、やっわくーのとこがすき-

そういえば「バイバイパンプキンパイ」のタイトルの由来、COCCO CHAnNELで明かされていたけど、なんだろう、この違和感は。なんなんだろう、この息づまる感覚は。たぶんわたしはいまだに引きずってるんだと思う、かつてこっこさんがインターネットをたいへん忌み嫌っていたことを。活動中止・再開を経て数年ののち、結局ネットで歌を切り売りするし、手広くグッズ販売しちゃうしメルマガだって発行しちゃうのね、そしてとっても大事な想いの丈までブログでぺろっと公開しちゃうんだ、と。

そらさ、リアルタイムでこっこさん情報を知りたい人も世の中にごまんとおいでだろうし、わたしみたいにひねくれて斜めから見ちゃうのも音を求める者の姿勢としてどうなのって気もすんだけどさ。批判したいとか、落胆とかそういうんじゃなくて。宮城の方言で言ったら「あー、もうほんといずい!」ってかんじなんだけど。

焼け野が原の春に届いたこっこさんのサイン入り葉書、わたしはいまも大切にとってある。あの時の気持ちといまの気持ちにずれがないように、自分のなかでつじつまを合わせたいだけなのかもしれない。あの春の終わり方がいまだに記憶に眩しく焼きついているだけなのかもしれない。

「インターネットは大嫌い、電話を持ち歩くなんておかしい、メールより手紙、ダウンロードよりもレコード屋でCDを買いたい」ってきっぱり言い放つ当時のCoccoさんの潔さを、わたしは自分でも思ってる以上に心から気に入っていたんだろうと思う。全部は無理でもおなじようにわたしも思っていたからさ。大切にしてる部分がおんなじだーっていうのがけっこう嬉しかったのに、人は変わりゆくものなんだなあっていうのがさびしいんだろうね。変化についていけなくて駄々こねるちっさいお子様みたい。ちょっと、いやかなりはずかしい。でもそこに嘘はない。

大丈夫であるようにを観に行く前も、わたしの内側にはぷっすり棘が刺さったままだった。観終えたあとに、もうそのままでいいやと思った。絹ずれを聴いて、パピルス読んだいまあらためて観たらまたちがう味が全身に広がるのかな。3回わたしの身体を貫いたびりびりは、また降ってくるのかな。太鼓と、べーべーぬ草と、炎に照らされる横顔と。

あー、なんだか「Heaven's hell」のDVDが出るまえの緊張感みたいだな。あれもいまくらいの季節じゃなかったか。わたしはまだ仲居の仕事を始めたばかりで、なかよくなった友だちの部屋で一緒にみたんだった。のどかな昼下がりだったのを覚えてる。いまでもあの学校回りしてる車のなかで、こっこさんがぼんやり口ずさんでる言葉を真似っこするよ。がんばってー、がんばってー。自分に言う。そこにはいない誰かのためにも言う。
 
是枝監督はあるインタビューで「Coccoは傷口に花を咲かせる」と言っていたけど、わたしの日常にはこんなふうにこっこさんが蒔いた種からはじまったくせとか、習慣がいろいろある。晴れた日の歌、雨の日の歌、食べたくなるもの、読みたくなる本、いろいろ、もろもろに。
 
毎日青汁に黒砂糖を入れてかしゃかしゃかき混ぜながら、映画の冒頭を思い出す。
 
  
 

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2009年11月05日

スープ鍋は磨いておく。-バンプ新曲

 
R.I.P. / Merry Christmas
-待っていたような、待っていなかったような-
 
BUMP OF CHICKENの好きなうた、3曲あげてください。

そういわれたらいまならなんだろう。「飴玉の唄」は藤原基央って人のいい部分っていうか、わたしが好きな要素が全部つまってるので絶対はずさん。で、「同じドアをくぐれたら」「ロストマン」か。「銀河鉄道」「flyby」「ギルド」もね、好きなんだけどね。「リトル・ブレイバー」聴くとなぜかしら夕方の空のしんみりした色がよぎる。「ラフ・メイカー」はなぜか最初から脳内でうさぎに変換されている。いまだにうさぎがハンマー持って窓ガラスを割ってる。そして各ツアーの1曲目のナンバーはやっぱりあの4人だからこそって感じがするから、アルバムで聴いててもどこかで大事に思ってる部分はある。すごくある。

先日届いた手紙には新曲出るんだよ、と綴られていた。ラジオやネット上で唐突にもたらされたのではなくて、いつもライブが始まる前のあのたまらない待ちの時間を共有させてもらってる、そしてあの人たちの音を何度もわたしに届けてくれた友だちから知らされたことが純粋に喜ばしい。ほんとうにうれしかった。ペンで書かれた字で知って。

シングルとしてだと「メーデー」「花の名」以来になるのか。うわー、あっというまだなおい。覚えてる。「分かちあえるもんじゃないのなら 二倍あればいい」でがつーんとカウンターくらったんだった。ほんの短い出勤時間ですら、音が、あの喉が、詞がわたしをぐらぐら揺さぶるのでだーれもいない早朝の道ばたで何度かぐわっと瞬間的に感極まったりしたのだ。涙目こすって、鼻水すすっていそいそをタイムカード押すんだよ。なんなのわたし、ああ気持ちがむき出しすぎてきもちわるい。でもちゃんと、音を受け取れる体制であったのはよかったなあといまも思う。反応できる畑を耕せていたってことだから。

メーデー 花の名
 
再三言ってるけどわたしは「初読み・初聴きをひとりお祭化しちゃうよ、わっほっほ」という傾向が誰より強いので、発売日まではありとあらゆる面で慎重になる。ネタバレには近寄らず、発売前に流れそうなラジオも聴かず、じっくり淡々と待つ。あれこれ考えながら、スープをことこと煮込むように過ごすのである。おいしいスープになりますようにと、時おり気持ちをぐるぐるかき混ぜながらその日を待ちわびる。時間ですらお祭のための隠し味にすぎない。
 
特に好きな歌い手さんの新曲は、本人のインタビュー記事なんかですら読みたくない。まず音ありき、先入観なしで聴いてからでも遅くはないと思うから。なんもない、まっさらな状態ではらぺこの身体を持てあましながら注ぎ込みたいだけだ。

そういう意味でこの夏の「こっこさんの台所」の初聴きは無事成功したといっていい。CD化も知らず、パピルスもまだ発売されていなかった。余分な情報を排してただ音とだけ対峙できた。歩いて、公園で、カラスやらにゃんこやら池の鯉の近くで景色ごと音を刷り込めたから。こっこさんまつり大成功。
 
で今回のバンプさんまつりはというと、とっとと失敗している。早すぎだろう。ラジオで流れた際にご親切にもtwitterで実況中継してる人がおいでだったのである。ついったーはブログとは違う。タイトルもなにもなしで情報のみが次々と流れてゆくため、こまやかな取捨選択ができる媒体ではない。諸刃の剣。油断していた。ラジオつけなきゃいいなんて甘かった。不意打ち!イレギュラー!ギアスでいったら枢木スザク!ゼロも真っ青!

コードギアス 反逆のルルーシュ 1 [DVD]

ある意味ではいろいろを考えるいい機会にもなった。自分がどれだけ待ちの時間をじっくり愉しむ気質を持ち合わせているのか、そしてなにげなくネットに放った一文が誰かにとんでもない打撃を与える可能性だってあるのだと知った。

ご存知のようにうぐ雨は、そこいらじゅうにネタバレが散りばめられている。そもそもの趣旨が「知ってるひとだけ知っている」=「こっそりひっそりツボの共有」である。世の中にはネタバレなしで素晴らしいレビューをブログにあげてる方や、逆にその週に発売された連載を読めない人々のために細やかに載せてくださってるサイトさんもある。そこを潜り抜けてまで辿り着いてここの作文読んで「おい!ネタバレじゃねえか!ぷんぷん」ってなる人はそうそういないだろうけど、もしもってこともあるからほどほどに気をつけっぺ。

そういえばバンプで不思議なのは、こんだけ聴いててライブもそれなりの数連れてってもらってるのにもかかわらずなかなか歌詞が完全に覚えられないこと。何年たっても入ってこない。なんでだろ、ほかの歌い手さんのはするするいけるんだけどなあ、相性かな。相性なのかな。そしていまだにバンド名のスペルを間違えそうになる。チキンを。

BUMP OF CHICKENというバンドがあって、これまで発表された歌を聴くことができてる現状になにも不満がない。好きだから次々求めるのではなくて、もたらされてる分でも十分わたしは潤っているのだ。新譜とかツアーとかも決まればちゃんとうれしいけど、さんざん待ち続けていたようで、実のところ心底待ちわびてはいない気さえする。こっこさんといっしょで。
 
人を、音を、作品を好きになるのは、それらを受け入れて信じましたっていうしるし。いっぺん信頼をおいたなら、そうそう簡単には覆せやしない。好きだという感情を放り込んでことこと煮こむお鍋は、いつだってぴかぴかに磨き上げておくべきなんだろう。滋味をとことん味わいつくすために必要不可欠だから。
 


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2009年11月04日

ごんぎつね、月夜にぶらぶら遊ぶ。

 
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ごんぎつね (日本の童話名作選)

「ごん、おまいだったのか。いつもくりをくれたのは」
ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなずきました。

新美南吉「ごんぎつね」より
 
***

本でもまんがでも映画でも、きれいだけど痛々しいとか、噛んだら苦いんだけどほの甘いのとか、両極端な二面性のあるものが好きだ。そして目にするたびにきまってどうしようもなく苦しくなるのが誤解が招いた不幸、である。
 
「ごんぎつね」は絵本やなんやらで読んではいたけど、本文まるごとを国語の時間で習ったのは小学5年のころだったろうか。作中にはわたしの本名が出てくるため、誰かが授業中に当てられて朗読してると、その場面になるたびに何人かがわたしをみてにやにやしていたっけな。思えばごんぎつねは秋の物語である。栗や松茸や彼岸花が出てくる。

兵十、病床にあるおっかあのためにうなぎをとりに行ったのにごんぎつねに逃がされる→おっかあ死ぬ→わるいことしたなと気がとがめたごん、ほんのつぐないと思って魚屋のいわしをくすねたのを届ける→兵十、魚泥棒の濡れ衣を着せられ殴られた→ごん、あ、やべ、またうまくいかない…じゃあ自分が山でとった栗やきのこを届けよう→兵十のやつ「これって神様のしわざ?」と勘ちがいしてやがる、ちっ、わりにあわねえな→それでもくじけず山の幸を届けていたのを目撃される→うなぎの恨み果たさずにおくべきか!と兵十の火縄銃が火をふく→ごん、ばたりとたおれる→兵十、くりを見つける…

時々無性に読みたくなるので文庫本を実家から持ってきている。南吉つぁんはさ、地の文がいいんだよ。「いつもは赤いさつまいもみたいな元気のいい顔」「ポンポンポンポンと木魚の音がしています」「兵十のかげぼうしをふみふみ行きました」とかさ。そして忘れられない最後の一文は「青いけむりが、まだつつぐちからほそく出ていました」である。はふーん。

ごんもひとりぼっち、おっかあが死んだ兵十もひとりぽっち。なかよく、できればよかったのにね。縁とかタイミングって合わない人とはどう転んでもまったくもって合わないもんな。根底にあるテーマは贖罪と許容、誤解とすれ違い。そこから得られる教訓は「自業自得」「因果応報」ってことでいいんだろうか。最期にごんがうなずけたのが唯一の救いだよね。兵十はどういう気持ちでごんを弔うんだ。なんべんひとりになるんだこの人。どうか早く嫁もらって幸せになっておくれ。

月のいい晩でした。
ごんは、ぶらぶら遊びに出かけました。

昨日の京都は、きんきんに冷え込んだとってもいい月夜で。今朝まだ暗いうちに見たら空はいちめん薄紫色。月光荘の葉書みたいなかすれた紫に、白いまんまるの月が西の果てに浮かんでいた。さむさむーっと身を縮めながらわたしもぶらぶら仕事に出かけましたとさ。

手ぶくろを買いに (日本の童話名作選)
-こっちも持ってるよ-
 
タグ:新美南吉


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2009年11月03日

うぐ雨食堂-白菜は冬の味がする。

 
20091102223420.jpg
-なんにでも黒胡椒をかけたがる-
 
まったくお肉が食べられないので、冷凍庫には油揚げやひろうすなどの大豆製品がいくつか常備されている。お野菜とそれらを炊けば煮物、煮びたし何でもござれ。レンジでちんしてお醤油かけるだけでもおいしい。

もらいものの白菜をはさみでざくざく切り刻み、生協の黒豆ひろうすをごろごろ投入、塩、こぶ茶、めんつゆ、お水はひたひた。この部屋のコンロは電気なので「火子ちゃん」という商品名の卓上コンロを使っている。やっぱり炎が見えた方が安心できる。火つけて、放置プレイ。昨日出勤前にお粥さんたべながらくつくつ煮ておいたのを夜に食べた。黒胡椒ふって。ひろうすが白菜の滋味を吸いこんだ冬の味だった。
 
寒くなってうれしいのはこういうざっくり作った煮物や鍋物や煮込みなんかが、3割り増しでおいしく感じられることだと思う。あー、シチューとか食べたい。ツナと貝柱と野菜ころころのやつ。とうこもろこしは多めに入れる。好きだから。黄色の比率がぐんと上がっても気にしない、気にしない。


 
 
タグ:ごはん


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2009年11月02日

紙の神様がいるのなら。-同人誌のこと

 
かみさま
-本の装丁や紙質やらが気に入ると読むでもなく触ってしまう-

朝しごとから帰ったところで顔なじみの佐川のおっちゃんが届け物をしてくれた。某書店からの段ボール箱には大量の同人誌。さすがにメール便と違って早い!たった2日で届いたぞ。ふふふふふ、1万円以上だと送料無料なのだよ。古本屋以外で新刊買うときは好きな作家さんの本だってあんだけ躊躇するというのに、同人誌には財布のひもがゆるゆるだわ。そして後悔もない。雨ふりのなか、うきうきと開封。

10/25のギアスのイベント分である。スザルル夢列車。なんで列車なのか、今更ようやく気づいたぞ。同人誌をこのようにぼんぼん買い始めたのはコードギアスさまさまである。去年のいまころは右も左もわからなくてちょっとでも気になるとばかすかカートに入れてたけど、ここ最近はきっちり狙いを定められるようになってきた。この作家さんならはずれはないっていう確たる指針を得たわけだ。

…とか書いてる途中で書店さんのマイページのお気に入りに入れ損ねたサークルさんがあったことを思い出し検索かけてるうちに、どんどんほしいのがみつかって朝っぱらからうほうほ注文するってどうなの。ここひと月のひきこもり生活はここで散財するためのものだったのか?そうなのか?それもこれも、昨日届いた分がどれもこれも面白すぎたせい!ひゃー。
 
本屋さんに並んでる本と違って、古本はいまを逃すと取り返しがつかないことになるのは子どものころから重々承知している。同人誌もおんなじ。再刷するかしないかは作家さんご自身が決めること。イベントにいそいそでかけることもできないわたしは書店通販のみが頼みの綱だというのに、在庫がなくなった時に表示される「注文不可」に一体何べん泣いたことだろう。以前夜にカート開いたまま寝ぼけて、翌朝起きてからみたら売り切れてたことがあって以来、「いま」を逃さぬようにつとめてはきたのだけれど。

これまでことごとくタイミングが合わなくて新刊出るたび買い損ねた作家さんがおいでで、今回めでたく再録本を手に入れたのだけれど、こう、時間をかけて待ち続けたおかげでまとめてどかんと味わえたから、「遠回りブラボー!なんておいしい!!」とむやみにはしゃいだ。

もちろん作品ありきなんだけれど、プロの作家さんとちがって二次作家さんが全部自分で材質選んでデザインて出来上がった本に触れるたび、その人のこだわりとか、萌え心や「わたしはこういうものが好きでこうして形に残しました」って気持ちの固まりにちょっとだけ触れさせてもらってる気がする。なんていったら気持ちわるいか。でもそれが本心なんだ。
 
もしわたしに画力、もしくは筆力があったならいろんな本を作ってみたかったなあ。残念なことにまったくもってそういう才覚には恵まれなかったからいたしかたない。ただでさえ時間と体力のやりくりがへたっぴすぎてあっぷあっぷいってるからどうしようもないか。働きながら子育てしてるお父さんお母さんと、お仕事しながら同人活動なさってる作家さんがたをわたしは心から尊敬してやまない。

自分の跡を残せないなら、せめて気持ちを動かされた作品を生んでくれた人たちにこそ、もれなくなにかをお返しできたらいいのだけれどそれもまた難しい。せめてもらった分だけでも返したいのに、なにをしてもそこまで届かない気がする。
 
インターネットのおかげで会ったことのない方とお話したり、ほんとだったら買いに行けないものだってなんなく手に入れることもできるようになった。これからもどんどん便利になってゆくだろうけど、それでもやっぱり最後の最後に残り続けるのは紙だと思いたい。手にとって確かめ続けていたい。紙の神様がいるのなら、好きだから好きと言い続けたい。わたしは無宗教だけど、紙と骨の神様にはいつだって柏手を打つ準備はできている。
 
紙に字を書く。コンビニまで歩く。コピーする。切る。折る。送る。ここにいるよ、こんなことしたんだよとお知らせする。誤字脱字はご愛嬌。どうかお元気でありますようにと、毎月届けることがお祈りがわり。ふんふんふーんと鼻歌まじりでのりで封をする。わたしにできることっていったらこのくらい。毒にも薬にもならない、とるにたらぬ紙きれいちまいぽっきり。近く遠くへ、北へ南へ。身内に、友人に、あの人に。

さあさ、届いておしまいよ。
 
 

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2009年11月01日

結婚詐欺師、小指、ナポリタン-余白13

 
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-ピザ食べながら末期がんについて語らう-
 
恋愛も自殺も浪費も生命力の体現なんじゃなかろうか
5:34 AM Oct 29th webで
13歳のころに一生分の嫉妬心を使い果たしたような気がする
9:34 AM Oct 30th webで
女結婚詐欺師のニュース。いろんな情報が表面化するたびに感心する。あの女性が綴っていたというCOOKPADのページ(かなえキッチン)をちらっと見た。カルピスバターを使ったクッキーや、バケットを作ってる途中の画像。亡くなった方についての記述。ものすごく、いろんなものに対して貪欲な人なんだろうなあ。何人も、何十人もの男性から生命力やらお金やら自尊心やらを根こそぎ奪い取ってきたんだろうな。転がる石はどこまでもじゃないけど、雪だるま式にどんどんどんどん強く固く大きく丈夫になってったんだろう。麻痺したんだろう。

全然自慢にならないけれど、わたしが最後に恋愛にうつつを抜かして嫉妬に悶えたりしたのは中学生の時分だ。大人になってから恋情に溺れて右往左往したことはない。長くそこにいられると思ってたのに油断してたら、ぶつんとその場をなかったことにされたことなら度々あった。骨フェチ心でいろいろを損なった。でも今のわたしは歳ばっかり大人になったわりには本とまんが以外、人様にあげられるものをろくに持っていないから誰かに捧げることもましてや奪われることもない。いわば詐欺にあった人たちは奪われるくらい、はじめからたくさんを持っていたとも言える。
 
前にも書いたけど、わたしはまずはじめにいちばん最悪の場面を想定するから、めったなことではその想像を上回る事態は起こらない。自殺を考えたことはない。だって痛そうなんだもの!いやだよ、そんなの。本屋さんで新刊をばんばん買いたいけどわたしの収入ではそんなことしたらおやつが食べられなくなっちゃうよ。いやだよ、そんなの。
 
人を好きになるのも、自分を殺すのも、後先考えずものを買うのもさ、生きる力が強くないとできないことだと思う。己を燃料に、火を灯し、燃焼させる。わたしにはそこまでぼうぼう火を燃やし続けることなんてできない。線香花火みたいにちろちろと、すみっこのほうで守り続けて久しい。細々しく淡々と灯し続けている。

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STAEDTLERの15センチ定規は佇まいがよろしい
9:56 AM Oct 29th webで
右の小指の長さは5cm 中指7cm 覚えておくと便利そう
10:05 AM Oct 29th webで
わたしの指はえてして短い。そのなかでも右手の小指は抜きんでて短い。ためしに計ってみたらぴったり5センチだった。なにかに使えそうな気がする。なにか、がなにかはよくわからないけど。

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念ずれば満腹な夜だった
12:41 AM Oct 30th webで
仕事中、ナポリタンが食べたい…ナポリタン…ナポリタン…とひたすら念じていたら、数時間後に目の前にナポリタンが出てきた。鳥肌がたつほどの歓喜! あつあつのたこ焼きや、ピザ!ピザ!食べ過ぎて翌日もれなく寝坊した。夜に満腹になると翌日起きられないお年頃である。


 


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2009年10月27日

うぐ雨食堂-お粥さん、もやしさん。

 
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数日前、ヤクルトを飲んだらのどにしみた。と思ったら風邪だった。のど→鼻水(滝)→熱→せき→気管支、とまあフルコース。2日間の休みを使ってしっかり堪能させられたよ。こんこんと眠って、たくさん夢ばかりみて、あいまにまんがと小説を読む。昨日は夕方からどうしても見つからないH×Hの26巻を探しながら本箱ひっくり返しているうちに、あろうことか模様替えしたくなって、ぜいぜいげほんげほんいいながらでっかい机を動かし、ベットを折りたたみ、野菜ジュースをごくごく飲んだ。実家から届いたラスクをかじりながら。
 
今朝は6時から久々の出勤だったけど、なにかにつけて笑うたびに咳が出て内臓まで飛び出そうになる。頼むからいまは笑わせないでほしい、わたしを。咳するのって体力いるよね。腹筋も背筋も筋肉痛だよ。日頃どれだけ動かしていないか思い知らされるわ。

帰ってきてから久しぶりにレンジでお粥さんを作る(「レンジでお粥さんを炊く」)。

去年の秋から今年の春にかけては主食がお粥だった。夏の終わりに某スーパー銭湯の食堂で食べた、「ほぼ生だろう、これは」っていう卵どんぶりに当たって以来しばらくはまった。わたしみたいな米食い人間は、おかずがあればあるだけごはんも大量にいるからさ、食べる量を我慢しなくていいお粥は素晴らしいパートナーなのである。偶然の産物で体重もすとんと3キロ落ちた。春先に2日くらい常温で放置していたお粥が発酵してとんでもない有様になって以来やめてたんだけどさ。なんせ数日ぶりの白米である。お粥さんのが無難だろう。
 
お粥を炊くのはいつも無印良品のどんぶりだ。厚手で、重くて、いちばんでっかいから。(「骨フェチさんの足の薬指」参照、血豆はまだ残ってる) 先週くらいに職場の若い仲居ちゃんが痩せたいっていうから主食をお粥にしたら?ってすすめたんだけど、さっき聞いたら3日で飽きたらしい。どうやって食べてるのと聞くと塩味だけとかたまに梅干入れます、という。そんなの飽きるに決まってる。

お粥生活で最も重要なのは「お供」である。ふりかけ、スープの素、おかず等々で変化をつけながら、毎日食べることを愉しむのがいちばんだとわたしは思う。今日は生協の鯛ちりめん。小袋で100円のやつ。お粥友だち2名にはすでにおすそわけ済み。まだ食べてないけどおなじシリーズにいかちりめんもある。

もやし食べるのも何日ぶりだろう。たぶんこの近所でわたしほどもやしと仲良くしている女はいないと思う。相思相愛。煮ても炒めてもレンジでチンしても美味しいなんて、ほんとにいいやつだ、もやし。今日は九条ネギの青いとことえのきををはさみでざくざく切って、めんつゆと塩コショウして、フライパンでじゃじゃっとした。昆布茶をちょっとだけふった。

もう一度言う。もやし、あんたはいいやつだ。そしてH×H26巻はいまだに見つからぬ。

ハンター×ハンター (NO.26) (ジャンプ・コミックス)



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2009年10月20日

金魚とキムチと蝉時雨。-記憶の技法-

 
記憶の技法 (フラワーコミックス)

「忘れたほうがいいことだからじゃないか?
 忘れてもいいことだからじゃないのか?」
「…忘れたほうがいいことと 忘れてもいいことはぜんぜん違うよ」

-吉野朔実「記憶の技法」より-

しばらく長めにしていた前髪を、ふたたび短くしたくなったのはもしかしたらこれを読んだからかもしれない、といまふと思った。前髪ぱっつんの女子高生・華蓮はある日父母が実の両親ではないことを知る。韓国への修学旅行に行く日程を、まるのまんま自分の過去を知るための旅にすりかえる。行き先は、福岡。旅の同行人は「友人でもなんでもない」同級生の男子。これだけ並べるとありきたりな少女漫画と思いきや、そこは吉野作品。楽な方に転んだりもせずにちゃんとずしんと残すものは残してくれる。ほんと、うまいよね。(読書歴についてのエッセイもすき。紹介されてるの全部読みたくなる)
 
作者のひとこと欄には「記憶というのはなんだか結構いいかげんなものです。」とある。わたしは身内から記憶力がいいとか言われたりするけど、それは特定のジャンルのみに限られたものであって(すきな漫画とか小説とか映画とかの場面・台詞・設定とか)、こと対人関係においてはおざなりである。近しい人ならともかく中学高校の同級生なんかごちゃまぜになってるし、たぶんいま会っても確実に素通りする自信がある。顔以上に名前を覚えられなかった。

コードギアスの皇帝シャルルじゃないけど、記憶っていうのはけっこうあっさり改ざんされがちだ。わたしたちの脳みそはそんなにおりこうではないから仕方がないことかもしれないけれど、あてにならないからこそ書いて残しておく必要があるとつねづね思う。とくに仕事や誰かと交わした約束事なんかはね。言った言わないの水かけ論なんて馬鹿げてる。
 
華蓮はふとした瞬間に記憶がとびがちで、母親はそれを「貧血」と呼ぶ。貧血の原因が幼少時代に起こった出来事がきっかけになっているのは言うまでもないことだけれど、物語の終盤、”もう思い出してもいい”ようになったこれから、貧血は改善されるんだろうか? 駅のホームで手渡されたもの。記憶を手繰り寄せる手助けをしてくれた穂刈くんが華蓮の今を縫いとめてくれるといい。

最終話全体の流れ、見開きで描かれた夏の日の記憶。辿り着いたふたりの会話。そして最後のページのモノローグ。けして軽いふわふわした話ではない。でもすり傷のような跡に触れる。金魚の赤を目に、蝉時雨を耳にするたびに、そしてキムチの匂いをかぐたびに思い出すだろう。わたしのなかに残り続けることだろう。
 
 
タグ:吉野朔実


posted by 雨屋杜美 | まんが-作者が女 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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