xxxHOLiCを読むようになってからというもの、蝶々がよく目につくようになった。道行く女の人の髪留めや着物の柄や。それまで素通りしていたはずのちょっとした色々に視線が縫いとめられる。物語に触れて変化する日常、そういうのを幾度も積み重ねていまのわたしがある。
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いやー、終わった。終わっちゃったんだなあ。なんだろう、この気の抜けっぷり。これまでだってたくさんの作品をお見送りしてきたはずなのに空虚っぷりが半端ないだよ。そんなに好きだったのかわたし。そんなにもこの作品があってくれることが嬉しかったのか。侑子さんが四月一日に「存在ってくれるだけでいい」って言ってたみたいに。
先月2月発売の号で最終回って知った際にはツバサの最終回の時のことを思い出した。あの時はまだホリックがあるし、まあ最後はあっちでまとめんだろうな、ふーん。てかんじ。「だってまだホリックがあるし」←ここ大事。ところが今回はそれにあたるものがないときた。あらららら。さて。どうくるんだろう、と。待ってた。ということで昨日読んでみたわけだけど、読んだんだけど、読んだんですけど。
なんだかもう話がどうしめくくられたかっていうより「曽祖父にそっくり」発言に動揺を隠し切れなかった。いやさ、最初だぁーって一気に読むさ。夢十夜(だっけ?)のくだり、店を継いで百年以上うんぬんのとこも目にはしてんだけど、てっきり曾おじいさん=遥さんって受け取ってしまってさ、ん?じゃあなんだこの青年は静の子どもかい、っておかしな変換してしまったわけで。2回目読んだ時やっと認識できたというね。
一族ぐるみで四月一日を見守ってきたらしい百目鬼家の人々のことを想ったら胸がこう、ぐーっときたよ。だって遥さんから指折り数えると6代だよ。その間の全員があの店に関わってきたとは限らないにせよいくらなんでも長すぎやしないか。ってか静ちゃんがどんな家庭を築いたかものすごく興味ある。もしや小羽ちゃんと結婚…いやいやそれはないだろう、どちらかというと保護者気分で小羽ちゃんの結婚式なんかに参列してそうだ。もちろん親族席である。わたが持たせたお祝いの品とか持ってさ。妻子のみならず孫、ひ孫までいる百目鬼静。寺は継いだんだろうか。それとも大学に残ったんだろうか。百目鬼教授かー、ラノベの主人公とかにいそうだな、おい。
侑子さんがみた大昔の夢。縁側の煙管の煙。籠にうつった時はあの煙によって物語がつながれたんだけど、今回はもうその先はないの? ほんとうに? ほんとにもうおしまいなのか。
CLAMP先生は今発売されてる号のジャンプスクエアで新連載「GATE7」を開始。この美しいタイミング。こりゃホリックは打ち切りだろうって誰もが思わざるをえないだろう。今までの話の流れをぶった切る収束のしかた。いや、終わり方はいいのさ。ハッピーエンドだろうがバットエンドだろうが作者がそうするってんなら手のひらでそうっと受け止めるしかないのは知ってる。でもいままでの糸を丁寧に紡ぐようにおしすすめてきたそのテンポをいきなり早めてはい、おしまーいってのは置いてけぼり感たっぷりすぎてやっぱり釈然としない。
わたしもここんとこ本誌まったく読んでなかったので18巻以降の話を知らないんだけどさ、こんなふうに急にしめくくられる兆候とか伏線ってあったのか? モコナにでも説明してもらいたいわ。「それはだな…」とかちゃんと解説してほしいんだけど。酒飲みながらでいいから。アテもちゃんと作るから。
かつて「イタズラなkiss」は作者・多田かおるさんの急逝により未完のまま終わってしまった。あれだけ長いこと続いた作品の、複数ある山場のひとつになったはずの場面で連載が途切れてしまったのは悔やまれてならないけれど、だからといって多田さんが残した仕事の素晴らしさはなんら損なわれることはない。宮沢賢治の言葉にもあるではないか、「永遠の未完成、これ完成なり」と。
xxxHOLiCもさ、これまでちくちくと手縫いでやってきた流れを最後の最後でミシンであっというまに仕上げちゃうようなことしないで、もう「X」みたいに放置してくれたらよかったのにな。そしたら四月一日が待つ以外の幸せを手にすることを祈っていられたのに。
だって結局、自分が選んだからとはいえ君ちゃんはひとり残されたわけでしょう。侑子さんは闇に、ひまわりちゃんも嫁にいき。(たぶん)占い師のおばあさんは亡くなり、小羽ちゃんも大人になり、静ちゃんも子孫を残して年老いてゆく。君ちゃんは大事に思って大事に思われていた人たちを何度見送ったんだろう。100年以上たったっていうなら、もしかしたら最終回で登場しなかったモコナやマルモロだってもういないのかもしれない。力が強まったというのならあの<場>を支えるふたりも必要なくなってしまうんだろうから。
小狼はさくらちゃんにはめったに会えないかもしれない、それでも仲間がいる。黒様が、ファイさんが、白モコナがさ。なのに今の四月一日には百目鬼のひ孫しかそばにいないわけ?そんなに格差をつけなくてもいいじゃないかもう、うがー!
そう、わたしはただたんに悔しいんだ。君ちゃんが他の人たちに囲まれて文句なしに幸せであってほしいって思っていたから。侑子さんが闇にとけてゆく時に自分の願いは四月一日が存在してくれることって言ってたみたいに。四月一日がかつてひまわりちゃんに祈ったように、小羽ちゃんが四月一日にそう願ったように。ひとりの女性をひたすら待ち続けることが、幾人ものひとを失い続けてもなお幸せであるなんて思いたくないんだよ。
アニメ映画「銀河鉄道の夜」はうちの一家の子どもたちが幼少のころからさんざん見てきた作品である。長いことビデオで、最近ではDVDで。ジョバンニが銀河の旅から星祭りの夜に戻され、カンパネルラのことを知らされ、お母さんのための牛乳を抱えて走って行ったあとに流れるエンドロールでは「春と修羅」の序文が朗読される。
わたくしという現象は
仮定された有機交流電灯の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといっしょに
せわしくせわしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電灯の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち、その電灯は失われ)
これらは二十二箇月の
過去とかんずる方角から
紙と鉱質インクをつらね
(すべてわたくしと明滅し
みんなが同時に感ずるもの)
ここまでたもちつづけられた
かげとひかりのひとくさりづつ
そのとおりの心象スケッチです
わたしはxxxHOLiCを読むといつも銀河鉄道の夜を見てるときのような気持ちになった。心が凪ぐんだ。よけいな装飾のない線画をながめるだけで落ち着いた。雨に光に影に。蝶に鳥に花々に。だから結末がどうであれこの物語の世界観はわたしのなかに残り続けるのは間違いないし、きっとこれからも何度も読み返すことだろう。消えない灯りをともされたようにずっとずっとあり続けるといい。
待つことを選んだ四月一日には宮沢賢治のこの言葉を送る。四月一日だけではなく、わたし自身にも、わたしの周りにいてくれる人にも、そしてこの文章を読んでるあなたにも。
けっしてひとりをいのってはいけない