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2009年09月08日

こっこさんの青い鳥。-絹ずれPV-

 


絹ずれのPV、ずっと風が吹いてる
1:54 PM Sep 4th webで

鍵盤 稲妻 青い鳥
1:55 PM Sep 4th webで

・雨屋日録より・

このブログは発散しきれないヲタ心や骨フェチ心を記録、保管しようと思って書き始めたんだけど、ここのところすっかりCoccoブログと化している。なんでもバランスって大事だと思ってるからまんがや本のことを書きたいな、ホネホネサミットの写真もあげたいな、と思い浮かべはするけれど。いましか書けないリアルタイムさも大事にしたいというわけで、今日は絹ずれPVについて書く。
 
今回の新曲発表、台所本の出版。この一連の流れをわたしはけっこう乾いた眼で見ていた。歌を聴いて泣いたりもしなかったし、配信限定って言ってたのにCDで出すなんてずるい!とわなわなし、おお、こんなこじゃれたお料理は材料を買いに行くとこからはじめなくちゃいかん〜って思ってた。パピルスも堀江さんとのインタビューがとってもとってもよすぎて、写真その他の印象度がかなり薄まったほど。→8/29の作文「絹ずれは嵐のなかに-パピルス10月号」を読む
シングル発売には付きものであるPV。じつはまったくもって頭になかった。絹ずれ・PVで検索してここにやってきてくださった方がいて、初めてそっか、あるんだーと思ったくらい。おかげさまで9/3以来、毎日みてる。こっこさん、Mステにも出演するんだそうだけどあいにくその晩はお仕事なので、おそらく後々ようつべあたりで見ることになりそうだ。

というよりテレビも雑誌もさ、たとえるなら少女漫画雑誌の付録のようなもので、あればうれしいけどなければなくたってもう結構。歌があれば。歌さえ届くなら。活動再開のときも、「大丈夫であるように」のときもそうだった。たしかにいろいろを知ることで、「雨水色」や「セレストブルー」「ジュゴンの見える丘」などの詞はさらに深みを増すだろう。でもなんも知らなくたっていいものはいいんだ。一旦はすべて砂に埋められたはずの歌がちゃんとまた届いてる。それだけを、シンプルにただ喜べればそれでいい。

こっこさんの台所CD

絹ずれという歌は風が吹いてると思った。はじめて聴いたときからそのように感じていてパピルス対談で春雨から嵐に、って読んだときも納得がいった。風なんだ。風を浴びて、風で洗われて、風にぶちのめされてしまう歌なんだな。だからはじめてPVみたときも、こっこさんがずーっと風に吹かれっぱなしなのがすごくよかった。全体のトーンでいったら「オアシス」「Rainbow」っぽい。井上哲央さんが撮ってるってことは、だいぶこっこさんのイメージに近いものになっているんだと信じたい。是枝監督のPVもいいけどわたしにはちと、抒情的すぎるように感じられる。きれいだけど遠すぎて、もっと生々しい手触りがほしいと思ってしまう。

鍵盤の白黒、海と絶壁、雨雲と砂浜。極力色味を抑えたなかで、唯一揺らめくあの衣は海の青なのか空の青なのか。なんかもう王蟲の血で染まったナウシカの服を思い出す。ひとりで世界を抱え込まなくたっていいのに。花咲かじいさん実演しなくたっていいのに。

花咲かじいさん

あー、わたしやっぱこの曲好きだなあ 今なら好きな歌3曲あげろっていわれたら、これ入れたいな ガーネット・藍に深し・箱舟、ああでもどれもはずせない…なんてことを考えながら淡々とみてた。2番。ママの着物に踊る〜のあたりからが圧巻だった。歌う姿が景色になる歌い手さんは意外に数少ない。
おとぎ話は捨てて ゆけ

のとこの表情が好きだ。Rainbowの時のあの、挑むような顔が一瞬見えた気がした。2番と最後の大サビのあいだ。手を両側に広げてるこっこさんってば、まるで鳥みたい。青の衣まとってさ、さながら青い鳥のよう。こないだホネホネサミットで陳列されてた鳥の骨格そっくりなんだもの。けして、トリガラのように細いって意味ではなくてさ、すうっと広げた両翼の羽ばたきっぷりが、青い絹の衣のはためきがただ美しかった。

そして自分でもたまげたんだけど、そのあとの最後の大サビはじまったらもう、なんの予兆もなしにどばーってきた。ジュゴンも大丈夫であるようにもたしかに胸を打たれたけれど、嗚咽した記憶は「もくまおう」ぶりな気がする。着替えて仕事に行かなくちゃいけないのにうううう、うなってた。漏れた、勝手に。なんでこのひとはこんなそのまんまを隠さないんだろう、むき出しなんだろうって。いつだってわたしは素を見せつけられるとぐうの音も出なくなる。

おとぎ話の数 抱いて の溜めのところの、目を一瞬閉じる表情がに息が止まるかと思った。こんな顔しようって決めてできるもんじゃないだろう。大サビは堀江さんとふたり、喉と鍵盤で踊ってるみたいだった。風、風、風。絶壁、稲妻、雨、鳥、横たわる少女、大海原、そして雨雲。この曲はそういう心象風景が棚引くなか、この力強い鍵盤の音に永遠に守られ続けるんだろう。

カメラがふたりの指先まできちんと捉えてるのもうれしかった。手という器官はあらゆるものを作り出すだけじゃなく、単体ですらこんなにいろいろな表現を生むのだ。ああ、わたし手フェチでよかったな。ホネホネサミット行っててよかったよ。じゃなかったらこっこさんが青い鳥に見えることもなかったはずで。
 
ただ、やっぱり残念に思う。こんなに強い音なのに、喉なのに。パピルスのあの表紙を、インタビューを目にした人ならきっと思い出してしまうでしょ。あの青い服の下の傷跡を。歌では何も変えられないって言葉を。なんかもう音だけを純粋に聴くだけじゃだめだったの?と。わたしは夏の朝の公園でなーんも知らず、カラスやにゃんこが横切るとこで絹ずれを聴くことが出来てほんとにうれしかったんだもの。こんな歌がまたあたらしく降ってきた!って小躍りしそうなくらい。→8/19作文「早朝音楽散歩-こっこさんの台所-」を読む

焼け野が原 ジュゴンの見える丘

活動中止時の焼け野が原のように、ライブアースのジュゴンのように、ライブで伝えることでより一層多くの人の記憶に留め置ける力を持った楽曲であることは間違いないんだしMステの後、台所CDが出た後に、どかんと公表したってよかったんじゃないのかと思わずにはいられない。たとえこれまでじゃなく、これからを見据えたためだったのだとしても。

RainbowのPVで真っ黒な球体を白壁にぶつけるさ、あんな感じだったのか。いっぺん全部ぶちまけちまえ!みたいなあいかわらずの潔さ、容赦のなさ。手加減一切しませんというこっこさんのスタンスこそが他の歌い手さんにはありえない部分ではあるし、まるでブレーキをふっとんだ暴走車のような様相を呈しているようにも思う。誰にも止められないんだろう。
 
泳がないと死んじゃう魚とおんなじように、歌わないといられない、生にしがみつけないというのなら歌えばいい。もうゆっくり休めばいいのになんて思ったりしない。人の心配してる余地があるなら自分を、自分の周りのこと助けてあげてってこっこさんは額面通り血を吐きつつ歌っているのだ。自分はひとりきりだと諦念しながら、それでも白旗かかげず立ちっぱなしの兵士のようで。

こっこさんは変わらない。できることをする、自分には歌しかない。ふたたび歌いだしてからというものこの姿勢は一貫して揺らいでいない。わたしは歌を歌うから、みんなはみんなのできることをしてねと。「もしも歌が届いたら」それからまたすべてが始まったんだった。迷ったら、Heaven's hellのときのこっこさんを思い出せばいい。あなたにできることはなに? と全身全霊で問いかけてくるあの歌を、聴けばいい。
 
Heaven's hell (初回限定版) [DVD]

  


タグ: 動画 Cocco


posted by 雨屋杜美 | 歌-Cocco | 更新情報をチェックする
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